交通死ー遺された親の叫びⅠ(2013~1998)

【コラムNo.028】 2010/10/11 第9次交通安全基本計画(中間案)に対する意見

2010年10月11日

 私の長女は、前方不注視のクルマに轢かれ17歳の短い生涯を終えた。被害ゼロを願う当事者の意見~生命尊重を貫いた理念と目標、速度抑制と制御、生活道路での歩行者優先など~を、是非公述人として具体的に申し述べたい。以下は概略である。

 「中間案」が基本理念と目標で、「交通事故のない社会を目指し」としながら、「一朝一夕に実現できるものではない」として、目標数値を年間死者3000人以下としていることには大きな問題がある。人間が作り出した道具(機械)であるクルマの使用によって、多数の命と健康が奪われ続けるという事態は異常である。

 被害根絶の対策を直ちに確立するべきなのに、3000人×5年の犠牲を「仕方がない」とばかりに「計画」することは生命尊重の大義に反する。本計画の親法「交通安全対策基本法」の目的には、「交通の安全に関し」「対策の総合的かつ計画的な推進を」とあり、「安全」は在っても「効率的通行」はない。しかし中間案は、「安全」を「需要」や「円滑性・快適性」と関連させ、結果的に安全軽視の対策となっている。「安全」を第一に理念を見直し、目標は「死傷被害ゼロ」とすべきである。その抜本対策の一つが、自動車の過度なパワーと速度の制御である。

 安全と速度の逆相関関係は明白であるから、効率やスピードの価値を優先して押しつけて理性をスポイルさせてきた「高速文明」の幻想と矛盾から脱するべきである。ITSは高速走行を前提とする限り矛盾を生む。全てのクルマに、道路状況によって安全な速度に制御されるリミッターを装着させるなど、速度抑制のための社会的インフラの開発整備を対策の根幹に据えるべきである。

 そもそも道路は住民等の「交流」機能も持つ。生活道路での通行の優先権は歩行者に与えられるべきであり、例えばスウェーデンのヴィジョンゼロ政策などヨーロッパで進む交通環境整備、交通沈静化の理念と施策に深く学ぶべきである。(2010年10月11日)

内閣府の「第9次交通安全基本計画(中間案)」に対する公聴会(10月22日)への公述人の募集で提出した「意見」より

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