刑事裁判の記録

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刑事裁判の記録

検察庁への意見書

札幌地方検察庁御中

被告人の処罰についての希望 ―特に被害者の気持ちについての意見―

前田 敏章/真紀子

 私たちは1995年10月25日、千歳市北信濃770番地で交通事故死した前田千尋の父母です。事故に関する供述は11月7日千歳警察署において、そして12月4日札幌地方検察庁において、それぞれ行いましたが、事故を起こしたAさんの処罰等についてその後さらに考えるところがあり、また、前記供述の際の言い足りない思いも含めて、少し整理ができましたので申し述べる次第です。

【Ⅰ】加害者の処罰について

 加害者Aさんの処罰については、法律に従い実刑を望みます。先の供述で「法律に従い公正な」処罰を、という主旨を申しましたが、このとき私たちは、過失が重大な業務上過失致死は実刑が必定と勝手に思い込んでおりましたので、そのような表現をしたのでした。執行猶予になるということは私たちの本意ではありませんので申し添えます。
 実刑を望む理由は、一言でいうなら長女の死を無駄にしたくないからです。娘は歩行者、子ども、老人などいわゆる「交通弱者」の安全が軽視されている「クルマ優先社会」の犠牲になったと考えています。車道を作ってクルマには便宜をはかるが、歩道の整備は二の次にするという行政にも問題がありますが、ここでは運転者の安全意識、とりわけ歩行者等の安全を守る意識の欠如について絞って述べます。

 私たちも運転をしますから自分の反省を含めて思うのです。一般のマイカー運転者の中で、いったいどれだけの人がプロ的意識をもって歩行者等の安全確保を最優先にした運転を励行しているでしょうか。例えば電車の運転手は、当然にも安全重視の運転を専門的に訓練され、勤務時間等も安全にとって無理なく配慮されて運転に従事しているはずです。しかし、レールがなく一般の通行者と隔離されていない生活道路を走る自家用車の運転者はどうでしょうか。レールがなく自由度が大きい分危険度も大きいはずですが、それに見合う安全意識は極めて低いのではないでしょうか。クルマは歩行者に対し莫大な運動エネルギーの塊として迫ってきます。人の体重の数十倍もの鉄の塊ですから、たとえ低速度であったとしても容易にその命を奪い、若しくは頭部などに重大な損傷を与えるのです。

 このような恐ろしいクルマを操作する運転者は、安全に関してプロ意識をもっているでしょうか。子どもが急に飛び出したり、お年寄りがふらふらと車道に出て来ることを常に想定してハンドルを握っているでしょうか。子どもやお年寄りがそうした行動をするのはごく当たり前のはずなのに、多くの運転者は道路がクルマのためだけにあるような錯覚をいつしか持っているのではないでしょうか。そしてこの倒錯は良く整備され普及した各種自動車保険によっても助長されてはいないでしょうか。

 娘の加害者であるAさんの場合が正にそうです。現場は加害者の自宅から200メートルもない通い慣れた道です。最寄りのJR長都駅利用の通勤通学者が多いことは熟知しており、通行者の多い時間帯で日没が早い晩秋、暗い上に雨と強風です。加えて歩道が設置されていないという悪条件が重なれば、尚のこと神経を集中して安全運転を心がけるのが常識です。
 しかし急ぐあまりの「前方不注視」。ここには歩行者保護の意識は豪もありません。人格的に特別な問題も見当たらない加害者でありながら、ごく基本的な安全運転が実行できていないところに、現在の交通事故、とりわけ歩行者事故の根の深さがあるように思うのです。
 そしてまた、この加害者の場合果たして単なる「過失」に留まるのでしょうか。このような悪条件の中、一瞬でも注意を怠れば、ましてや前方から目を離せば、取り返しのつかない重大惨事になることは十分予想できたはずです。加害者の行為は「過失」ではなく、危険を予知しながらもあえてその危険を冒して行為した「未必の故意」に他ならず、正に「重大過失」です。

 問題は、こうした重大過失(未必の故意)をいかにゼロに近づけるかということです。娘の事故後も同様な歩行者事故が毎日のように報じられていますが、その度に胸がおしつぶされる思いです。最愛の娘を失ってなお、この種の「過失」が懲りなく生じているのです。このままでは娘の尊い犠牲は報われません。心ない人たちが言うように、娘は「運が悪かった」「運命だった」「早く(潔く)忘れなさい(諦めなさい)」ということになってしまいます。加害者に対しても同じように「運が悪かった」で済まされてしまいます。

 もし加害者が実刑ではなく執行猶予がついた場合、こうした風潮はより加速されることにならないでしょうか。損害補償など各種保険が「整備」されている今日です。「初犯だから」「故意ではないから」「加害者にも家族があり事情も理解できるから」「十分反省しており遺族に対する誠意も尽くしているから」等々の理由で刑罰が軽く扱われるとすれば、歩行者等の命がクルマの利便さと引き換えに不当に軽視される「クルマ社会」の問題は改善に向かいません。実刑を免れ、保険で経済的な痛手も負わず、それまでと変わらぬ生活を続けられる加害者。これでは、かけがえのない命を結果として奪った加害者の犯罪性が社会的に制裁されることにはなりません。以後同種の事故を無くすることにもならないと思います。

 日々伝えられる交通事故のニュースで、私たちの感覚は麻痺し、交通事故をごく日常的な事象と受け取ってはいないでしょうか。毎年1万人前後が犠牲になるという確率の問題としてとらえ、根本的に事故を減らす方策が置き去りにされていないでしょうか。私たちも、そのような感覚麻痺に陥っていたことを否定できないからこそ言いたいのです。取り返しのつかない過ちを犯した加害者には、やはり生涯をかけて償って欲しいと思います。ハンドルを握るすべての人に、このような重大過失にはそれ相当の処罰があることを事実の重みをもって示していただきたいのです。

 実刑を望むのは、単に感情的発露からのものではありません。

 娘の不慮の死を知らされ、悪夢のような信じがたい事実に向き合わされた時、私たちは娘の成仏ばかりを願いました。さらに、私たちには当初事故の詳細が何ら知らされず、後ろからきたワゴン車にはねられ即死としか把握できなかったため、暗くて雨が降り制服も紺なので、運転者が注意して走っていたにもかかわらず発見が遅れた、避けがたい事故だったのではないかと勝手に思い込みました。そのため事故の当日、加害者のご主人が謝罪にきたとき、私たちは「着ているものも黒っぽくて見づらかったのでしょう。私たちも運転をしますから」という思いやりの言葉をかけているのです。さらに加害者が直接訪ねて来た10月28日に事故の様子を聞いたところ、加害者の母親が本人に代わって「150メートルほど手前では歩行者の姿は見えなかった。何かがぶつかって、不審に思ってUターンした。通りがかりの車に救急車の連絡を頼み、自分は看護婦でもあるので生き返って欲しいと念じて人工呼吸を試みた」と説明しました。それを聞いた私たちは、やはり「前方不注視」など重大過失があったことも知らないものですから、その事後措置に感謝し「看護婦の仕事をやめることなく頑張って欲しい」旨を述べました。

 当時は、交通事故への怒りは強くありましたが、運転者への怒りはさほど無かったのです。これに対して加害者の父親が感謝していたことを鮮明に覚えています。また、当時私(敏章)が加害者へ寛大な気持ちをもっていたことは、私の勤務校である千歳高校定時制の受け持ち4クラスで、娘の事故について話した中でも触れていることです。

 加害者への寛大な気持ちが変わったのは、12月4日にも供述しましたが、11月6日に事故の詳細を知ってからです。担当の巡査から「運転者が普通に前を見て運転していれば、こんなことにはならなかった」という説明を受け、娘の無念さを思い、娘がたまらなく可哀想になりました。そして改めて加害者への怒りがこみあげてきたのです。さらに、加害者は私が指摘するまで、車のカセット操作のため前を見ていなかったという重大過失について述べようとはしませんでした。11月17日に刑軽減の嘆願に同意を求めてきた加害者の職場の同僚に対して、私が嘆願を断った旨を聞いて初めて釈明にくる(11月20日)有様です。本当に心から謝罪するのであれば、先ず事実を隠さず話すことが当然と考えるのですが、加害者は母親が代わって説明した10月28日の話だけで、前を見ていなかったということは11月20日まで触れずじまいだったのです。

 このことからも、私たちの加害者に対する気持ちは大きく変わりました。すなわち、加害者は運転していたときがそうであったように、行動はあくまで自分本位です。運転しているときは、手数料のかからない6時までに銀行へ行かなくてはならないから、危険を冒して変則ギアを最大回転比の5速に入れ、前を確かめず疾駆させました。事故後は被害遺族の気持ちなど顧みず、自分と家族の都合で実刑を免れるために嘆願署名など八方手を尽くすのです。

 私たちはそんな加害者の非常識がわかりませんから、つい最近まで娘の仏前へのお参りを拒否したことも、感情的になって罵倒したということもありません。娘の成仏を考え、加害者の気持ちも配慮しお参りしていただきました。しかし、49日も過ぎ、徐々に加害者の反省の度合いや処罰のことが気になりはじめましたので、12月26日、加害者にそのあたりのことを聞いてみました。すると、嘆願書を進めていることについて「もし、実刑を受けると看護婦の仕事が続けられなくなると言われました。そうなると家のローンを払うのに困るので・・・」という答え。そして、私が「娘には何ら過失がなく、あなたの重大過失によって引き起こされた事故である。私たち遺族の気持ちは正当な処罰を受けて欲しいことだが、私どもの気持ちを逆なでする嘆願書はいったいどういうつもりで行うのか」と問うたところ、返ってきた言葉は「交通安全を進めるためと言われました。署名をすることによって交通事故に注意してもらうことができるので」。

 あまりに身勝手な言い分です。加害者は刑を軽くしてもらうための「誠意」の証しとしてお参りに来ていたのでしょう。事故現場は先述したように加害者の家からすぐ近くですが、そしてそこには私たち家族と娘の友人たちがお花を供え、家族は日に2回犬の散歩の折に手を合わせているのですが、加害者がそこへ足を運んだ形跡がないことも、ようやく理解できるのです。そして「(周りの人が)こう言いました」などと主体性のない言動です。加害者も2児の母親であれば、子を失った親の気持ちを少しはわかっても良いはずです。償い方について自分なりの考えで行動することもできるはずです。

 この加害者の例からも、娘の死を今後に生かし、歩行者の安全確保を貫くためには、交通事故加害者の量刑を重くして、命を奪うことの重大性を広くわかってもらうこと、そして免許取得の資格や、免許取得、更新の際に行われる安全教育の質を厳しく高めることこそ必要ではないかと痛切に考えるのです。

【Ⅱ】遺族の心情

 最愛の娘を失った遺族の心情を重ねて述べます。

 遺族の思いはもちろん当事者でなければわかるものではありません。私たちの娘は17歳と5か月でその全てを、そして未来を一方的に奪われました。子どもを先に亡くす事自体が稀有です。被害に遭わない人たちにとって、にわかに自分をその立場に置き換え、気持ちを測り知る事は困難でしょう。突然被害者という「当事者」になった私たちには、そのことが十分理解できるのです。そして、だからこそ、私たちは繰り返し、声を大にして述べなくてはと思うのです。

 娘が亡くなってから、本当に辛く寂しい毎日です。日が経つにつれ悲しみはより深く重くなっていきます。娘が病魔に侵されたとか、自らの過失でというのであれば、これが娘に与えられた天命だったと何時か気持ちの整理のつく日が来るのかもしれません。しかし、私の娘は病とたたかったわけでもなく、避けがたい自然災害に巻き込まれたのでもなく、何か生命にかかわる過ちをおかした訳でもありません。自分の意志に反して、人為的な強制力をもってかけがえのない命を奪われました。仏前で手を合わせるたびに思うのは「無念だろう、悔しいだろう」という思いばかりです。いつまで経っても「安らかに眠って欲しい」という気持ちにはなれないのです。

 事故の日、10月25日は朝から雨模様だったので、私は娘を長都駅まで車で送りました。「行ってきます」と明るい笑顔で別れた娘が、放課後も親しい友人数人と事故の直前まで楽しげに談笑していた娘が、友だちと別れ、電車を降りて十数分後変わり果てた姿になったのです。修学旅行を3週間後に控え、本当に楽しそうな青春真っ只中の娘でした。その日は友だちとの買い物の誘いを断り、「今日は早く帰って久し振りに母と妹と(私は定時制高校勤務のため夕食時不在)夕食を共にするの」と帰路を急いだ優しい娘でした。アルバイト先のラーメン屋のご主人と奥さんから「よく気がつく、優しい本当に良い娘だった」と自分の娘のように可愛がられた子でした。ボーイフレンドもいましたが、同性の友人も多く、みんなから「ちーちゃん」と呼ばれていました。事故後何度も大勢でお参りに来てくれ「千尋ちゃんの嫌いなところは一つもなかった」と懐かしんでくれていますが、本当に友だち思いの娘でした。「卒業したら同級生のいとこと一緒に、札幌のおばあちゃんの部屋を借りて、札幌で働くの」と生き生き語っていた娘でした。年頃になり髪や服装にこだわっていましたが、センス良く着こなすスタイリストの娘でした。思春期の親に対する反発も峠を越え、これから本当に良い母娘、父娘の関係ができると楽しみにしていましたが、もう二度とあの颯爽とした姿をみることも、優しい声を聞くこともできないのです。

 事故があってから数日は正にぼう然自失。これは悪い夢に違いない、早く覚めて欲しいと思いました。浅い眠りから覚めるたびに娘のいない現実に涙しました。それ以降一時も娘のことを忘れることはありません。朝起きるたびに娘のいないことが悔しく、仏前でお参りするたびに娘の無念さを思います。食卓を囲む度に椅子や食器が3人分しかないことに悲しくなるのです。娘がボーイフレンドから貰い受け朝早く散歩させるなど可愛がっていた犬を、娘に変わって散歩させるのですが、その散歩コースに娘が轢かれた現場があります。花を飾りそこで手を合わせますが、やはり無念さがまずこみ上げます。中学2年の妹が寂しげながら健気に学習に精を出し、台所の手伝いをする姿を見て、姉がいればこれからの人生ずっと仲良くお互いに支えあうことができるのにと口惜しさで一杯になります。車の運転をするたびに、車の前部に激しく打ちつけられた娘の姿が想像され、どんなに痛かっただろうか、どんなに苦しかっただろうかと不憫に思います。雨の日の運転は特に、「どうして」「何故」と事故のことを思い起こします。娘と同じくらいの背格好で歩いている女性を見たり、制服姿の女生徒を見かけるたびに、もしや千尋ではと、思わず見つめてしまうのです。

 家族の誕生日が来ようが、クリスマスが来ようが、正月を迎えようが、楽しい気分には一向なれません。昨年の正月、祖父母の家でいとこや親たちと夢中になって百人一首をしたことを思い出します。家族4人で富良野へ2泊3日のスキーに行き、娘の友だちが一緒で、朝から晩まではしゃいでいたこともよみがえってきます。巡ってくる月日や行事のたびに長女がいた時の楽しい一こま一こまが思い出され辛くなります。家族旅行や夏休みに恒例になっていた家族キャンプ、揃っての外食など、もはやこれまでのように出かけることはできません。楽しいことを企画することさえできないのです。全ての楽しみや喜びは数千分の一になり、悲しみは、分かち合う家族が欠けた分、幾万倍にも大きくなっています。

 私たち家族は4人が揃ってはじめて家族なのです。長女が奪われてもうこれまでの家族には成り得ません。長女の千尋が生まれてこのかた、どんな思いで育てたか、また私たち親と妹が千尋からその可愛いらしさや優しさなどからどんなに心を和まされ、幸せを感じ、生きがいとなってきたか。その一端を知っていただきたく、わが家で発行した家族新聞を12月24日に提出しました。家族新聞のほかにも楽しかった家族の記録は、八ミリ映画やビデオ、写真などたくさんあります。娘が事故に遭う3日前にも娘の小さい頃撮影した成長記録の八ミリ映画を家族4人で観ていました。2人の娘は自分の幼い頃の可愛らしい姿やしぐさを見ながら、両親の愛情や家族というものを改めて実感してくれたものと思っています。世の親、家族の全てがそうであると思いますが、この世で一番大切なものは我が子であり、家族です。かけがえのない子どもの命、家族の絆、これを失った悲嘆を推し量っていただきたいと切に思います。

 私たち家族の気持ちが安らぐのは、千尋の死が無駄でなかった、千尋は今も立派に生きていると実感されることなのです。千尋の死後、現場に歩道が作られました。事故が起こる前に作られていたらと悔やまれますが、その歩道を通るたびに千尋が生きていると、ほんの一瞬実感できるのです。この北海道いや日本中に歩行者保護のための道路整備がされて、危険箇所がなくなることを願うのです。運転をする者が、歩行者など交通弱者の立場になり、その保護を第一にハンドルを握るように、免許付与時の教育やその後の更新時教育など恒常的で抜本的な安全教育の確立を願うのです。これらなくして娘は浮かばれません。娘の尊い犠牲が無駄になります。

【Ⅲ】付言

 千歳警察署での11月7日の供述の中に、「もし娘が右側を歩いていたら、事故に遭わなかったかもしれません」という主旨の部分があったと思いますが、誤解を招くと困りますので一言付け加えます。
 この供述は私の意思ではなく、担当の巡査が「そうではないですか」と私を促し、私が同意しかねる旨を述べたにもかかわらず、「もし、ということで一般論だから」と、調書に加えることを繰り返したために入れられたものです。その時私は、事故の原因が運転者の「前方不注視」という重大過失であることを初めて知らされたショックから大変動揺しており、冷静な判断ができる精神状態ではありませんでした。しかし、その後現場を通るたびに、この供述に対して後悔の念が大きくなりました。

 あの状況で、もし娘が右側を歩いていたらという想定をすることは全く無理なことです。私も札幌への用足しに良く歩きましたが、現場は左側が広く、少ない街灯も左側にしかなく、加えて排水用の雨水桝も左側にしかありません。右側の車道脇は狭い上に水溜りがひどく歩けないのです。さらに現場から150メートルほど手前にある踏み切りにも歩行者用のスペースは左側にしかありません。こうした状況から現場は誰しも左側を歩かざるを得ない所なのです。

 また、このあたりは全体が低く、雨水桝の効率も悪くなっていたため、少しの雨で車道脇はぬかるみ、舗装した車道しか歩けない状況でした。これについては五島千歳市議が、事故後道路管理者の市側にかけあって、雨水桝の掃除をさせたことからも明らかなことです。

 以上申し述べます。

裁判の記録

平成8年2月20日宣告
平成7年 第1295号 業務上過失致死被告事件

主文

被告人を禁錮一年に処する。
この裁判の確定した日から3年間
右刑の執行を猶予する

理由

(罪となるべき事実)

 被告人は、平成7年10月25日午後5時50分ころ、業務として普通乗用自動車を運転し、千歳市北信濃770番地付近を道路を長都駅前方面から自由ヶ丘方面に向かい時速約40キロメートルで進行するに当たり、前方左右を注視し、進路の安全を確認しつつ進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、車内設置のカーラジオに視線を移して脇見をし、前方注視を欠いたまま漫然前記速度で進行した過失により、進路前方左側端の車道上を同方向に歩行中の前田千尋(当時17歳)に気付かないまま同人に自車左前部を衝突させて同人を路上に転倒させ、よって、同人に頚椎骨折等の傷害を負わせ、同日午後6時43分、千歳市東雲町1丁目8番地医療法人同仁会千歳第一病院において、同人を右傷害により死亡させたものである。

(証拠の標目)

被告人の当公判廷における供述
被告人の検察官調書及び警察官調書
(現場通行人)の警察官調書
警察官作成の(1)実況見分調書(2)検視調書
医師○○作成の死亡診断書

(法令の適用)

罰   条     刑法211条前段
刑種選択     禁錮刑選択
刑の執行猶予  刑法25条1項

(量刑の理由)

 本件は、被告人が前方注視を欠き、脇見をしたことにより、前方を同方向に歩行中の被害者に気付かず、被害者に自車を衝突させて死亡させたという事案である。前方注視という基本的な注意義務を怠った点で過失の内容が悪いこと、本件事故により被害者はほぼ即死に近い状態で17歳という若さでその尊い生命を奪われており、本人の無念さはもとより、これまで慈しみ育ててきた被害者の両親及び親族の気持ちを思うとき、本件によってもたらされた悲しみは筆舌に尽くしがたく、被害者遺族の被害感情が厳しく被告人に対して実刑を望む心情も十分理解できるのであって、結果が極めて重大であることなどに照らすと、本件の犯情は芳しくなく、被告人の刑事責任は相当に重いというべきである。
(中略:この箇所は事実に反するので削除)これらの事情を総合考慮すると、被告人に対しては、今回に限り、被害者の冥福を祈らせつつ、社会内において自力による更正の機会を与えるのが相当であると認められる。よって、主文のとおり判決する。

[検察官谷口照夫、弁護人(私選)○○各出席]
[求刑禁錮1年]

平成8年2月20日札幌地方裁判所刑事第三部一係
裁判官  長島孝太郎

刑事裁判を終えて

裁判を終えて その1

「主文、被告人を禁錮1年に処す。ただし、3年間刑の執行を猶予する」
 2月20日、札幌地裁六号法廷に長島裁判長の声が低く響きました。
 ある程度の覚悟をしていたとは言え、「執行猶予」という言葉を聞いたとき、「千尋。こんなこと絶対許せないね」と、手許の小さな写真に向かって心の中で語りかけました。

 裁判長は続けて量刑の理由を述べました。「前方注視という基本的な注意義務を怠ったことは重大である。しかし(1)歩車道の区別が無く、被害者が左側を歩いていたという不運 (2)加害者側は事故後葬儀に20万円の香典をあげるなど、誠意をもって対応している (3)任意保険にも加入しており、示談が期待される (4)被害の遺族宅へ度々訪れているなど、深く反省している (5)小学生の子ども二人がいるなど、事情もある (6)前科が無い、ということから今回に限り執行猶予とする」
 私はこの「情状酌量」の「理由」のメモを執りながら、何度も「ちがう、ちがう」とつぶやきました。歩車道の区別が無いところでの事件が運転者にとって「不運」であれば、運転者の安全運転義務は一体どこへいくのでしょう。道路は車のためだけにあって、歩行者は通行してはならないとでも言うのでしょうか。(3)(4)は事実と異なります。示談の予定はありませんでしたし、何より加害者は誠意のためではなく、自己保身だけのために、反省の風をみせ対応していたということが、裁判での供述はじめその言動から明らかなのです。さらに(5)(6)を殊更「情状酌量」の「理由」とされたことに、怒りを越えて呆れ果ててしまいます。

 しかし、さすがに裁判長も良心の痛みを感じるのでしょう。次のように言葉を続けました。
 「(この判決に際して)裁判所もいろいろ考えた。ただ、やはり数秒間のほんのちょっとした不注意であること。酒酔いとか、スピード違反とか、事後処置が悪かったとかそういうのでなく、往々にありそうな事である。被害者は家族新聞を出して成長を楽しみに見守ってきたそうだが、そうした被害者遺族の心情を考えると、被害者にとってはバランスがとれないという批判があるだろうが・・・」
 裁判長は「苦汁に満ちた選択」をしたとの心情を吐露したのでしょう。しかし私にとってみれば、「苦汁に満ちた選択」ではなく「矛盾に満ちた選択」に他なりません。胸が張り裂けそうに悔しいのは、裁判長の先の言葉「往々にしてありそうな」こととして、かけがえのない千尋の死を不当に軽く扱ったことです。

 これまでの判例が、交通事故加害者に対して不当に軽い刑罰で推移してきたという現在の「定型」が、この許されざる、矛盾に満ちた判決を生んだものと思います。そこには一人の裁判長の力ではどうにもできない、日本の司法、刑法の大きな矛盾が横たわっているのでしょう。
 このままでは千尋の犠牲が無駄になります。私は今日改めて誓いました。千尋の死を無駄にしないため私の持てる力の限りを尽くすことを。

 私のほんの少しの安堵感は、私たちの思いを「被告人の処罰についての希望-特に被害者の気持ちについての意見-」という意見書の形で裁判長に届けることが出来たことです。これは、友人の弁護士からの助言があってのことですが、「公訴は、検察官がこれを行う」とされ、捜査から起訴、裁判と全ての過程で被害者側遺族は蚊帳の外におかれてしまう現行制度の中で、出来得る限りのことをやりきりました。若しもっとこうすれば良かったという思いが残れば、千尋にも申し訳がたちません。 (1996.2.25.)

裁判を終えて その2

 判決から10日以上経ちました。独りになると、言いようのない悲しさ、寂しさに包まれます。私のたずさわっている教育という仕事には意欲も充実感も感じられるのですが、それ以外の私的な事での充実感がありません。二女の清香がいなかったらどうなっているだろうと考えると恐ろしくなります。きっとぬけ殻のような生活になっているでしょう。妻も同じだろうと思います。清香もまた残された家族の絆を支えに平静を装い健気に学校生活に打ち込んでいるのだと思います。

 加害者の処罰が決まり、改めて千尋の死の意味を考えます。そして、堂々めぐりのように同じところで思考が止まります。このままでは千尋はあまりにも不憫だ。千尋の無念を晴らすにはどうしたら良いのか。

 いろいろな疑問も次から次へと広がります。一体時速何キロメートルで千尋は轢かれたのだろう。本当に40キロメートルだろうか。その速度でフロントガラスが割れるほどの衝撃を受けるのだろうか。現場検証はきちんとなされたのだろうか。

 この事故を担当した司法巡査は、私が「(衝突時の)スピードは」と尋ねたとき「そのことは民事にかかわってくるので、言えません」という主旨のことを言いました。その後、その時の疑問を検察庁で尋ねたところ、応対した検事は「(警察は)あなたに伝える必要がないと判断したからでしょう」という木で鼻を括ったような言。さらに私の「5速なら時速60キロは出ているのではないか」という疑問に、「それはあなたの考えでしょう(あなたが口をだすことではない)」と突き放すような言い方。まさに、取り付く島がない検事の態度に、私は一縷の望みとして、きっと裁判の中ではこの辺りの詳細が明らかにされるのだろうと期待するしかありませんでした。しかし、裁判の中で担当の谷口検察官が起訴事実として述べた衝突時の速度は40キロであり、シフトの5速問題は取上げられることもなく、40キロは「確定」されたのでした。

 こんなずさんな現場検証や捜査に基づいての裁判結果にどうして納得がいくでしょう。娘を失った悲しみに加えて、納得のいかない判決に甘んじなくてはならない苦しみ、かけがえのない宝である我が子の命を軽く扱われたやるせなさ・・・。 (1996.3.3)

長女も許さないと思います

【1】刑罰の軽さ

加害の責任を免罪し、人の命を軽く扱う行政と司法

 娘の加害者は、別記裁判記録にあるように、「前方左右を注視し、進路の安全を確認しつつ進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、車内設置のカーラジオに視線を移して脇見をし、前方注視を欠いたまま漫然前記速度で進行した過失により、進路前方左側端の車道上を同方向に歩行中の前田千尋(当時17歳)に気付かないまま自車左前部を衝突させて同人を路上に転倒させ、よって同人に頚椎骨折等の傷害を負わせ・・・死亡させた」のであるが、判決は「禁錮1年、執行猶予3年」という信じがたい軽い刑である。

 1999年10月1日付け「北海道新聞」には、「わいせつHP男に有罪判決」という見出しで、次のような記事が載った。「インターネット上のホームページ上に男女のわいせつな画像を掲載したとして、わいせつ図画公然陳列の罪」に問われた・・・・・に対し釧路地裁は『被告の行為はわいせつ性が高いが、本人も反省している』として懲役1年6か月、執行猶予3年を言い渡した。」

 娘を殺した加害者の刑罰は、この犯罪より軽く扱われているのである。

【2】警察の対応

(1)事故の概要説明が初めてなされた場で直ちに遺族の供述調書をとられる矛盾

 事故後の動転した状況の中であるが、私たちの「なぜ、どうして」という疑問に答えてくれず、警察からは病院での簡単な説明だけで、事故原因や加害者の処遇について何の音沙汰も無く、肝心な事故原因が知らされないまま葬儀を執り行わなくてはならなかった。
 若し「前方不注視」という重大過失が原因ということを聞いていれば加害者側から香典など受け取ることはなかった。これが後の裁判で、加害者側の情状酌量の理由にされたことを知り、心底から悔しく思った。

 ようやく警察から連絡があったのは、初七日も過ぎ事故から13日後の11月7日であった。この時初めて事故原因が加害者の前方不注視であったことを知るが、同時に被害者の心情や加害者への心情などを聞かれた。いわゆる供述調書を取られたのだが、その時初めて事故原因を知らされて、怒りと娘への不憫さで気が動転していた。その冷静に考えられない状況で、まだ考えもまとまらないうちに、半ば誘導尋問的に加害者への処遇についての意見などを求められ、答えさせられたという印象が強い。
 例えば加害者は「深く反省しているように見受けられます」とか、「事故自体は不注意で起こしたと思いますが」というくだりがあり、後に検察庁に出向いてこの時の事情と厳罰を望むと言う心情を改めて訴えなくてはならないことになった。

(2)当事者である被害者や遺族が当然抱く疑問に応える場が全くなく、「死人に口なし」で加害者側の言い分だけが尊重されるという不公正

 このときの司法巡査の対応で忘れられないことがある。私が事故原因に関連して、スピードは何キロだったのですかと聞いたところ、「そのことは民事にかかわってくるので(加害者に不利になることもあるので)言えません」と言われたのである。

【3】検事と検察庁の対応

 後に検察庁で任意供述をした際にその疑問を投げかけたが、担当の副検事は「(警察は)あなたに伝える必要がないと判断したからでしょう」と木で鼻を括ったような返答。
 また、私はその後加害者自身から、そのときシフトレバーは5速であったことを聞いていたので、時速40キロということが信じられず、そのことを取上げて欲しい旨述べたが、「それはあなたの考えでしょう」と、私が口を出すことではないとばかりにあしらわれ、全く取り合ってもらえない。さらには、出来上がった調書を確認する際に、嫌味のように「学校の先生は文章の間違いにはうるさいのでしょう」という始末。被害遺族の心情を逆なでし、こちらが悪いかのような信じられない検事の対応に、私の心はずたずたに傷つけられたまま帰路に着いた。

 結局、刑事裁判は被害者ではなく国がその罪を罰するのだから、被害者や遺族であっても、第三者であり口をはさむことは不公正になる、ということであるらしい。この当然の帰結として、加害者だけの人権が擁護されることになるのである。

【4】裁判のこと

 裁判当日、私は当事者である娘の遺影を大切に胸に抱いて札幌地裁に足を運んだ。傍聴席の真ん中に座り、お葬式で用意した大きな遺影を正面に向け開廷を待った。裁判長が現れ、間もなく開始と思ったがなかなか始まらない。暫く経って裁判長は検事を呼び、何やら打ち合わせをしていたが、次に検事は私を法廷の外に呼び出した。つまるところ、遺影をしまって欲しいとのこと。理由を尋ねたところ、被告への圧力になるという。
 納得できなかったが、こうした事態に対する心の準備もなかったので、如何ともしようがなく、千尋に詫びながら膝の上に置いた。

 裁判が終わってから、結局この遺影の件が、この裁判の性格ー被害者と遺族は蚊帳の外に置かれ、加害者の立場ばかりが尊重される司法制度ーを象徴していたことがよく分かった。

 先ほどのスピードの件だが、案の定、裁判ではシフトが5速であった事実は取上げられることもなく、加害者の言い分どおりの40キロで事実確認がなされてしまった。

 加害者は、自分を護ってくれる弁護士を立て、自己の「反省の深さ」と「過失の程度の軽さ」を「証明」する機会が与えられ、最大限それは生かされるが、被害者側には味方となってくれる弁護士は居らず、被害者の立場に立とうとしない検察官が半ば事務的に進めるだけなのである。

 とりわけ、被害者への誠意の部分で、加害者は嘘の証言を繰り返したが、これについて私たち被害遺族は当事者であるにも拘わらず、この嘘を指摘する機会がなく、虚偽の証言が堂々と情状酌量の理由にされた。

 このことは裁判記録のお粗末さにも表れている。裁判の中で繰り広げられた嘘や矛盾の供述などを、後に問題にしたいと、裁判記録を閲覧した。しかし記録は要旨のみの略式の記述で、事実確認は曖昧のまま。裁判記録の末尾には「この供述の要旨のみを記載することについては訴訟関係人が同意した」とある。遺族は訴訟関係人ではないので、このことも全く知らないままであった。

 こんな不公正が許されるのか。担当の検察官がせめて加害者側の弁護士ほどに被害者の命の尊厳という立場で、遺族の心情を理解して事に当たることは出来ないのか。
声を大にして言いたい。

【5】加害者の不誠実極まる対応

 一貫して自己保身を貫き、裁判でも嘘の供述をする (詳細は検察庁への「意見書」)という、不誠実な対応。さらに、裁判までは足繁く通い、仏前で頭を垂れていたが、3か月後の刑事裁判の判決後は一切姿を見せない。

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2019年2月1日

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