交通死ー遺された親の叫びⅠ(2013~1998)

【コラムNo.012】2003/3/3 運命

2003年3月3日

 今日はひな祭り。八年前までは、二人の娘の成長を喜ぶ華やいだ日だった。しかし、長女が交通犯罪の犠牲となり、泣きながら飾りつけをした七年前からは、無念をかみしめる日に変わってしまった。仏壇の横に今年も飾られた人形だが、最近では寂しさと怒りをたたえた表情に見える。

 十七歳で暴力的にそのすべてを奪われた娘の無念さを思い、今も胸が張り裂けそうになる。何のいわれもない相手に何の過失もない娘が道路上で犠牲になった事件を、「事故だから仕方ない」「運命だから」と受け入れることは到底できない。

 体験講話の機会が時折あるが、高校生など若い人にも「車の運転は、他人の安全や生命に直接かかわる行為で、パイロットや医者と同等の専門的技能と責任が求められる。事故は体験して学習などということが決して許されないことなのだから、絶対に加害者にならないで」と訴えている。

 昨年五月、札幌市内の高校で「命とクルマ、遺された親からのメッセージ」をテーマに講演した際、ある生徒さんからもらった感想文に感激した。

 その感想文は「百年ほど前、死者二千人以上というタイタニック号の事故で奇跡的に生還した少年が、その後交通事故でこの世を去った。その記録に書かれた『死という運命に逆らうことはたやすくない』という一文を読み、運命とは恐ろしいものだと納得していたが、今日の講話を聞き、『死の運命』は他人の絶対的な力によって押しつけられてはならないと考え直した」といい、「人には生きる権利と死ぬ義務があり、それは決して他者の手出しが許されない神聖なものなのだろう。『事故の死』を『運命』という言葉から切り離して考える機会をいただいたことに感謝している」と結んでいた。

 高校生のみずみずしい感性に大いに励まされた。

(前田 敏章=札幌・北海道交通事故被害者の会代表)
(「北海道新聞」2003年3月3日夕刊のコラム「プラネタリウム」に掲載)

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