交通死ー遺された親の叫びⅠ(2013~1998)

【コラムNo.027】 2010/4/17 希望

2010年4月17日

■少年院で、交通犯罪によって同乗者に脳への重い後遺障害を負わせ、「加害者」の立場になった少年に面接指導をする機会がありました。「被害者」とその家族への償いの人生という十字架を背負う少年は、その覚悟をためらっているようにも見えました。「クルマ優先社会」がもたらす悲劇の一つです。少年院での講話の際にいつも話している「償いについて」の三つのこと(罪と向き合う=被害者のことを知ること 心からの謝罪をすること 社会貢献への道)を時間をかけて考え抜くようにと話しました。

■面接の後半、結果として取り返しのつかない被害を与え「(自分は)普段の生活で笑うことも許されない」と呻く少年に、生きる「希望」をと思い、次の言葉を伝えました。「君は一生をかけて償わなくてはならない。そして、償うためには生きなくてはならない。そのためであれば、時には笑うことも許されるのではないか」と。

■私事ですが、私はこの3月で定年退職し、37年間の高校教員生活に終止符を打ちました。想い出多い教室で、生徒への最後の授業をしました。一昨年、共に机を並べていた女生徒がバイクに同乗し被害死するという悲劇もありましたから、最後に伝えたいことは、やはり「命とクルマ、遺された親からのメッセージ」というテーマです。命の重さと、親がわが子を宝と思う気持ち、一瞬で被害者をうみ加害者ともなるクルマの危険性とクルマ優先社会の問題について深く認識して欲しいと話しました。

■授業のまとめは「希望」についてです。過去に不登校体験など様々な傷をもつ定時制の生徒に、大いなる「希望」を抱いて欲しいと願いました。私は、娘の事件から数年後、「生命のメッセージ展」を創始した鈴木共子さんの詩集「絶望からの出発」に共感したこと。昨年主催したフォーラムの講演で「悲しみを知る者にしか見えない希望がある」と話された千葉商科大学の小栗幸夫先生の言葉に励まされたこと。今後も「命の尊厳」「交通死傷被害ゼロ」「被害者の視点と社会正義」「脱・スピード社会とスローライフ交通教育」などをライフワークのキィワードに位置づけ、第二の人生をしっかり生きたいと決意を語りました。

■「絶望から立ち上がるための希望」「悲しみを知るものが持つ、社会を変える力となる希望」、そして最初に述べた「償いのために生きる希望」これらの「希望」に共通するのは被害者の存在です。常磐大学の諸澤英道先生は、3年前の札幌での講演で「被害者問題はイコール社会正義」であると述べました。

■今号(会報32号)の小特集「ロードキル裁判」で、最初は亡き真理子さんの小さな叫びであった「人の命も動物の命も守って」の声を大きなうねりにしたのは、絶望から起ちあがったご遺族と、「悲しみから希望へ」と支援し合った仲間のとりくみ、そして、深く共感していただいた青野弁護士の崇高な仕事によるものと思います。「被害者の視点と社会正義」、そして、犯罪被害者週間全国大会のスローガン「いのち、きぼう、未来」という言葉を改めて噛みしめています。

北海道交通事故被害者の会会報32号(2010年4月10日)掲載の「編集を終えて」より

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