交通死ー遺された親の叫びⅠ(2013~1998)

【コラムNo.030】 2012/5/13 交通犯罪への刑罰について~特に危険運転致死傷罪に関わって~の覚え書き

2012年5月13日

 交通犯罪への刑罰について、私たちの願いは当会(北海道交通事故被害者の会)の要望事項(後掲、資料1)に集約されています。その主張は10年前に当会が初めて要望事項(後掲、資料2)をまとめた時から基本は変わっていません。

その主要点は

  1. 交通犯罪は特別の犯罪類型として厳罰化をする
  2. 危険運転致死傷罪は適用要件の大幅緩和が必要である
  3. 交通犯罪が軽く扱われる一因でもある刑法211条2項の「刑の裁量的免除」規定は廃止すべきである

という3点に集約できますが、以下若干の補足説明を加えます。

  1. 法治社会において、法が第一義的に尊重し守るべきもの(法益)は人命であり、それ以上のものはないということが大前提です。
  2. 交通犯罪はそのもたらす結果の重大性(不可逆的な死傷という重大結果を招く)から、また自動車運転は許可制のもとで交付を受けている行為であり、違反行為や重大過失があれば相手の命をも容易に奪うという、高い注意義務を伴うことを承知しての行為であるから、従来からあった業務上過失致死とは別に重く罰するべきである。(2007年の刑法改正で自動車運転過失致死傷罪が新設されるまでの業務上過失致死傷罪の最高刑は窃盗罪のちょうど半分にあたる懲役5年であった)
  3. 2001年に新設された危険運転致死傷罪(以下「危運罪」)は、被害者等の「命の重みに見合った量刑を」との切実な願いに応えて法制化された極めて貴重な法律である。「危運罪」が、飲酒運転などの運転行為に関し、傷害罪に匹敵する悪質危険な行為があることを法律で示した意義は非常に大きい。
  4. しかし、「危運罪」には大きく二つの問題点が当初から指摘されていた。一つには、危険運転を傷害罪・傷害致死罪に準じた「結果的加重犯」と規定したために、そして従来からの業務上過失致死傷罪との差異のために、道交法上の犯罪ではなく高度に危険な故意の違反行為としたために、適用要件に内心的要素をも加えその立証ハードルを極めて高く上げたことである。

 例えば刑法208条の二、「アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させ、よって人を・・・」の中で、「走行させ」とし、「正常な運転が困難な状態」を認識している(故意)を要件としている。この認識に関して「正常な運転が困難であること自体を認識する必要はなく、意識が朦朧としていること、歩行が困難であること、他人から運転を止めるように注意されたことなどの事実の認識があれば足りるとされる。しかし、主観的要素との関係では、酩酊状態が深くなればなるほど、その認識ですら難しくなってくるのではないだろうか」(津田博之氏「危険運転致死傷罪における主観的要件」:「危険運転致死傷罪の総合的研究」日本評論社p130)との指摘もある。

 また刑法208条の二のには「人又は車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入し、その他通行中の人又は車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転」する行為について、「妨害する目的」という内心的要素を立証するという極めて高いハードルを設けるとともに、同項には「赤色信号又はこれに相当する信号を殊更に無視し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で四輪以上の自動車を運転し、よって人を死傷させた者も、同様とする。」と、他の刑法の犯罪には無い要件「殊更に」という、これも内心的要素の立証が要件となっている。
 

 そもそも、「通行中の人または車に著しく接近する行為」や「赤色信号又はこれに相当する信号を無視する行為は、」それ自体客観的に危険な行為であり、目的等の主観的要素が無くとも処罰に値すると考えるべきである。

  1. 「危運罪」制定時の二つ目の問題は、業務上過失致死傷罪を定めた刑法211条の2項に「自動車を運転して前項前段の罪を犯した者は、傷害が軽いときは、情状によりその刑を免除することができる」という「刑の裁量的免除規定」を設けたことである。これは、運転行為の危険性に警鐘を鳴らし、「命の重みに見合った量刑を」求めてきた法改正の趣旨曲げるもので、衆議員法務委員会での付帯決議「危険運転致死傷罪に該当しない交通事犯一般についても、本改正の趣旨を踏まえ、事案の悪質性、危険性等の情状に応じた厳正かつ的確な処断が行われるよう努めること」を反故にするもので、以下の点からも不当な条項である。

 「刑の裁量的免除」規定は、検察官による「起訴便宜主義」により、交通事犯の9割近くが不起訴となっている不当な現状を刑法が追認し、さらには自動車運転業務についてのみ免除が設けられることで、交通事犯を一般の業務上過失致死傷罪に比べ軽く扱うという間違った通念が拡がってしまう。

  1. 当会では、具体的事例に則して④と⑤の問題点について指摘し、適用範囲の拡大と矛盾の是正を強く要望してきたところである。(後掲、資料3)
  2. 「危運罪」施行から5年後の2006年、埼玉県川口市で脇見運転の車に幼稚園児4人死亡17人重軽傷という惨事が発生し、最高でも懲役5年という業務上過失致死傷罪の軽さを指摘する世論が拡がり、刑法改正が検討されて2007年自動車運転過失致死傷罪が新設される。検討に際し、私たちは他の被害者団体とともに法制審議会に意見書を提出し、意見陳述も行った。しかしこの法改正は、自動車運転を特別の犯罪類型と定めた点では画期的であったが、その最高刑がそれまでの業務上過失致死傷罪の5年を7年に変えただけの極めて不十分なものであり、「危運罪」の見直しはごく一部(自動2輪も除外を外す)に止まり、交通犯罪への刑罰の適正化、および体系的整備にはつながらなかった。当column、No.22 2007/6/7
  3. そして「危運罪」の適用を躊躇し、司法への信頼を大きく損なうことになったのが、2008年福岡地裁が示した2006年の飲酒ひき逃げ、福岡3児死亡事件の被告への「危運罪」適用見送りの判決である。当column、No.25 2008/1/12 この事件は2009年に高裁が「危運罪」とし、2011年10月に最高裁がそれを確定したしたが、最近の事件についても「危運罪」適用の混乱は顕著で、兵庫県の生田事案(〈後掲、資料4〉神戸地裁は遺族側が取り組んだ訴因変更を求める6万5千筆を超える署名を受けて一転「危運罪」への訴因変更手続きを行う)然り、名古屋の真野事案(〈後掲、資料5〉名古屋地裁は「危運罪」を適用せず、世論の非難を浴びている)然りである。そして北海道旭川の寺島事案〈後掲、資料6〉でも、遺族側が訴因変更を求めている。

 このように「危運罪」適用をめぐる問題が続いていることで、「危運罪」の問題点是正を含み、交通犯罪の刑罰の見直し(体系的整備)が迫られていることを痛感する。

2012/02/27 前田敏章(2012/05/13 一部改訂)

〈資料1〉 現在の要望事項

4 交通犯罪を抑止し、交通死傷被害ゼロを実現するために、交通犯罪に関する刑罰を適正に改めること

4-1 自動車は,その運転方法いかんによっては,凶器となる。そして,危険な運転によって重大な被害をもたらすことは、これまでの幾多の事件により明らかである。危険な運転行為を行い,その結果,死傷の結果を生じたのなら、他の過失犯よりも重い処罰をすることが、交通犯罪抑止のために不可欠である。交通犯罪は特別の犯罪類型として体系化すること。危険運転致死傷罪については、目的などの主観的要素の要件を緩和するなど、危険な運転行為一般に適用可能な内容に改正すること。「自動車運転過失致死傷罪」の最高刑を大幅に上げること。死亡事件の最低刑を懲役1年以上とすること。飲酒によるひき逃げの場合の、「逃げ得」という矛盾を生まないことなど適正な刑罰とすること。

4-2 交通犯罪に対する起訴便宜主義の濫用を避け、起訴率を上げること。刑法211条2項の「傷害が軽いときは、情状により、その刑を免除できる」という「刑の裁量的免除」規定は廃止すること。

4-3 危険で悪質極まりない飲酒や薬物使用での死傷事件を撲滅するために、厳罰化とともに事故の際の運転者の飲酒検査の徹底や血液検査を制度化すること。飲酒の違反者には「インターロック」(アルコールを検知すると発進できない装置)装着を義務化するなど、再犯防止を徹底すること。

〈資料2〉2002年11月15日、当会が初めて作成した要望書「交通犯罪撲滅、交通事故被害ゼロ、被害者支援のための要望事項」より

4 故意や未必の故意、重過失により生命身体等に重大な侵害を与えた交通犯罪に対し、不当に軽い刑罰を改め、事故抑止、再犯防止の観点から厳罰化すること。

4-1 新設された危険運転致死傷罪への適用を拡大すること。また、交通犯罪に対し、業務上過失致死傷罪と括るのでなく、「自動車運転業務過失致死傷罪」(仮称)を設けるなど、厳罰に処すること。

4-2 交通犯罪に対する起訴便宜主義の濫用を避け起訴率を上げること。刑法211条2項に新設された「傷害が軽いときは、情状により、その刑を免除できる」という「刑の裁量的免除」規定は廃止すること。

資料3〉掲載記事 2003/07/05北海道新聞夕刊

<私の発言> 断ち切れ「加害者天国」 「危険運転致死」適用拡大を

 被害者の視点がなければ、人権侵害の実態が見えない。八年前、高校二年の私の長女は学校帰りの歩行中、前方不注視の車にはねられ、即死した。通り魔のような被害に遭った娘と同様の人権侵害が日常化している現状を見ると、胸が張り裂けそうに痛い。

 被害をなくすためには、利便性を求め続ける異常な「クルマ優先社会」を問い直し、社会的規制を強めることが不可欠と考える。違法運転による死傷は、事故ではない。悪質犯罪として厳罰に処すこともその一つだ。

 二○○一年十二月の刑法の「危険運転致死傷罪」新設は、飲酒など悪質な暴走車に肉親を奪われた遺族の「命の重みに見合った量刑を」という悲痛な叫びが発端だった。死傷という重大結果を引き起こす悪質かつ危険な運転行為は、業務上過失致死傷罪では最高でも窃盗罪のちょうど半分にあたる懲役五年にすぎない。これに対する世論の批判の高まりもあり、法改正までは速かった。危険運転致死傷罪では最高十五年の懲役となり、飲酒、暴走、信号無視など悪質運転で事故を起こした場合に適用される。しかし、施行後一年半を経ても適用例はあまりに少ない。

 昨年六月、十勝管内足寄町で一般道のカーブを時速百三十キロで暴走し、対向車線の車に激突して四人を死に至らしめた事件でさえ適用されなかった。地検が、被告の「危険についての認識」を明らかにできなかったからという。昨年七月、札幌市内の横断歩道上で十三歳の男の子が犠牲になった事件では、加害者運転手が横断歩道手前で子供を視認しながら、時速五十キロで走り死亡させた。ご両親は、危険運転致死罪の「通行を妨害する目的で、著しく接近し、かつ重大な危険を生じさせる速度」に当たるとして告訴したが、札幌地検は「被害者との関係が知己でなければ故意性が立証できない」と適用を見送った。

 道内では、愛児を失った家族が危険運転致死罪で告訴する例が相次いでいる。しかし、多くの場合適用が見送られてしまうのは、あまりに厳格に故意性を問うためであり、立証困難という実態が今後も続くのであれば、新法は絵に描いたもちとなる。交通犯罪は「未必の故意」として裁くべきである。

 車社会における「加害者天国」が、安全確認義務の軽視や危険運転の要因になっているのではないか。この「負の連鎖」を断ち切るためには、危険運転致死傷罪の適用拡大、もしくは新たな法整備が必要だ。(まえだ・としあき 北海道交通事故被害者の会代表)

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