■「道新」1月1日の1面に、2011年の道内の交通死者数が62年ぶりに200人を下回る190人であったという記事が載りました。11月には江別で、飲酒・ひき逃げ・無免許による兇悪犯罪もあり、「ゼロ」にはほど遠い「数値」に安堵の気持ちはありませんが、「歩行者が巻き込まれる事故が前年比36%減。このうち65歳以上の高齢者死者数は4割減」という指摘には少し穏やかな気持ちになれます。会員の皆さんの尽力で、体験講話(12年目で延べ500回、受講者も10万人を越える)や「いのちのパネル展」(9年目で、延べ150回、600日開催を越える)など、命と安全の大切さを粘り強く訴え続けてきた結果でもあると思いたいからです。
■毎年積雪期になると、朝刊を開く時の重たい気持ちからほんの少し解放されます。交通死傷被害の記事が減るからです。「犠牲を無にしないで」と願い活動を続けていますが、死傷記事の一つひとつに、辛く無念の思いが沈積します。
■本号(北海道交通事故被害者の会・会報37号)で特集した津田美知子さんの講演から、沢山のことを学び考えさせられました。ヨーロッパの道路交通文化に学び、区画道路の「静穏化」を実現し、「車道至上主義から歩行者、自転車の道へ」という提言は新鮮で明快でした。
■講演では豊富な写真資料が論旨に沿って提示されましたが、欧州の中心市街地での、駐車により車道を狭くしての「静穏化」例を見せられてはっと気付いたことがありました。北海道などでは、積雪期の道路脇の雪山が(意図しない不完全な)「静穏化」(クルマが低速走行し住民の安全と生活が護られる)を実現しているのではないか。その結果、積雪期の1月と2月に交通死者数が大きく減るのではないか、と。
■さらに詳細な分析が必要とは思いますが、道内の交通死亡者数を、降雪はあるが積雪の少ない12月と道路脇の雪山が顕著になる1月とで比べてみました。最近5年間(2006~2010)ですが【12月→1月】でその違いを表すと顕著です。合計死者数は【115→60人】と48%減り、中でも人対車両は【40→15人】と63%も減っているのです。
■私の家の近所も、生活道路なのに夏はビュンビュン危険走行で子どもさんの被害例もあります。しかし、1月になると雪山で道幅が狭くなり低速走行を余儀なくされます。行き交うために一方が停まって譲り合い、互いに会釈を交わすという微笑ましい光景も見られます。これを不便と捉えるか、夏場のクルマの凶器性と対比してクルマ本来の人を決して傷つけない道具としての使われ方(=「静穏化」例)と捉えるか。それが問題です。
■視点を変えることによって、物事の本質が見えることがあります。被害の側の視点に立ち、命の尊厳は何物にも代え難いのであって、決して金銭や便益(自動車交通の円滑化やスピード)などと比べたりしてはならないと考えるなら、死傷被害ゼロにつながる区画道路での通年の「静穏化」は直ぐにでも出来ると思いますし、そうしなければなりません。欧州には優れた先進例もあるのです。
■私自身にも、雪山による市街地の低速化を静穏化例と見る視点は不確かでした。「歩車共存」と言いながら、結局はクルマ優先に軸足を置いた感覚麻痺に陥っているのではないかと自省もさせられた津田講演でした。
■1月9日現在、道内の交通死は、1日に起きた車対車の事故による1名です。その被害の重みを胸に刻み、犠牲はこれで終わりにしなければならないとの思いを新たにしました。
北海道交通事故被害者の会会報37号(2012年1月10日)掲載の「編集を終えて」より