交通死ー遺された親の叫びⅠ(2013~1998)

【コラムNo.014】2003/5/28 「何年たっても」

2003年5月28日

 五月の日曜日、姪(めい)の結婚式に招かれた。教会式では、新婦は父親に導かれて入場し、中ほどで新郎が代わってエスコートする。

 はじらいの中にも幸せいっぱいの姪の横顔を見ているうちに涙が止まらなくなった。隣の妻も嗚咽(おえつ)している。

 姪と同い年で仲の良いいとこだった私の長女は、中学生の時に親せきの結婚式に参列して「私は感動しちゃいました。教会みたいな部屋の中での結婚式なんて初めてだもん。テレビでよく見るように、歌をうたったり、指輪交換を見たり…。私も赤いじゅうたんの上を歩きたいな」とわが家の家族新聞に書いていた。

 披露宴での手作りのしおりには、小さいころの二人の写真に「十七歳で交通事故にあい、もう会えなくなってしまった千尋ちゃんにも来てもらいたかったよ」と新婦の添え書き。写真も文章も涙でにじんだ。

 長女の分まで幸せにと願ったこの日の少し前は、迎えられなかった娘の二十五回目の誕生日だった。親であるなら、死ぬまで亡き子の年を数え続けるのだろう。

 五十三年前、前方不注意の車に小学一年生の娘さんの命を奪われた札幌の会員、大亀博子さん(87)から次の手紙が届いた。

「昭和二十五年事故死しました娘、言美(ことみ)。朝一番に欠かさず水を供えています。死の直前の言美のことばが『水、水』だったからです。生きていたらと年をかぞえ又々涙です。車に乗る方々は人の命を第一に運転してください」

 私は天国の娘に、次の誕生日カードを送った。

「お誕生日おめでとう。いつも心の中の千尋と一緒に理不尽な『クルマ優先社会』を問う活動を進めています。千尋も全国で命の重みを訴え続けて下さい」(あなたの無念を思っては涙している父と母より)

(前田敏章=札幌・北海道交通事故被害者の会代表)
(「北海道新聞」2003年5月28日夕刊のコラム「プラネタリウム」に掲載)

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