交通死ー遺された親の叫びⅠ(2013~1998)

【コラムNo.015】2003/7/5 断ち切れ「加害者天国」「危険運転致死」適用拡大を

2003年7月5日

 被害者の視点がなければ、人権侵害の実態が見えない。八年前、高校二年の私の長女は学校帰りの歩行中、前方不注視の車にはねられ、即死した。通り魔のような被害に遭った娘と同様の人権侵害が日常化している現状を見ると、胸が張り裂けそうに痛い。

 被害をなくすためには、利便性を求め続ける異常な「クルマ優先社会」を問い直し、社会的規制を強めることが不可欠と考える。違法運転による死傷は、事故ではない。悪質犯罪として厳罰に処すこともその一つだ。

 二○○一年十二月の刑法の「危険運転致死傷罪」新設は、飲酒など悪質な暴走車に肉親を奪われた遺族の「命の重みに見合った量刑を」という悲痛な叫びが発端だった。死傷という重大結果を引き起こす悪質かつ危険な運転行為は、業務上過失致死傷罪では最高でも窃盗罪のちょうど半分にあたる懲役五年にすぎない。これに対する世論の批判の高まりもあり、法改正までは速かった。危険運転致死傷罪では最高十五年の懲役となり、飲酒、暴走、信号無視など悪質運転で事故を起こした場合に適用される。しかし、施行後一年半を経ても適用例はあまりに少ない。

 昨年六月、十勝管内足寄町で一般道のカーブを時速百三十キロで暴走し、対向車線の車に激突して四人を死に至らしめた事件でさえ適用されなかった。地検が、被告の「危険についての認識」を明らかにできなかったからという。昨年七月、札幌市内の横断歩道上で十三歳の男の子が犠牲になった事件では、加害者運転手が横断歩道手前で子供を視認しながら、時速五十キロで走り死亡させた。ご両親は、危険運転致死罪の「通行を妨害する目的で、著しく接近し、かつ重大な危険を生じさせる速度」に当たるとして告訴したが、札幌地検は「被害者との関係が知己でなければ故意性が立証できない」と適用を見送った。

 道内では、愛児を失った家族が危険運転致死罪で告訴する例が相次いでいる。しかし、多くの場合適用が見送られてしまうのは、あまりに厳格に故意性を問うためであり、立証困難という実態が今後も続くのであれば、新法は絵に描いたもちとなる。交通犯罪は「未必の故意」として裁くべきである。

 車社会における「加害者天国」が、安全確認義務の軽視や危険運転の要因になっているのではないか。この「負の連鎖」を断ち切るためには、危険運転致死傷罪の適用拡大、もしくは新たな法整備が必要だ。

(まえだ・としあき 北海道交通事故被害者の会代表)
(「北海道新聞」2003年7月5日夕刊「私の発言」に掲載)

-交通死ー遺された親の叫びⅠ(2013~1998)
-, ,

© 2024 交通死「遺された親」の叫び