論考・発言

【9】2011/9 ハートバンドの誕生と「いのち・きぼう・未来」

2011年9月30日

ハートバンドの誕生と「いのち・きぼう・未来」

犯罪被害者団体ネットワーク(ハートバンド)代表
北海道交通事故被害者の会 代表
前田敏章

1 はじめに

 私は交通犯罪被害の遺族です。1995年10月、当時高校2年生の長女は、学校帰りの歩行中に、前方不注視の車にひかれ、わずか17歳でその生涯を終えました。通り魔殺人的被害であるのに、加害者への裁きは、執行猶予付きの禁固1年。当時の裁判長は、「ちょっとした不注意による、往々にして起こる事故」だから、と情状酌量の「理由」を述べました。娘の命の尊厳が二度踏みにじられたような不条理な裁きを今も許すことができません。かけがえない宝である我が子を奪われた悲嘆は筆舌に尽くし難く、私は娘の仏前で未だに「安らかに」という声は掛けられません。亡き娘からいつも「私がどうしてこんな目に遭わなくてはならなかったの?」「私がその全てを奪われたこの犠牲は報われているの?」と問い掛けられているような気がするからです。この問いに答え、心の中の娘と共に生きようとの一念で北海道交通事故被害者の会の設立(1999年)と活動に関わり、犯罪被害者団体ネットワークの活動にも参加してきました。
 私の立場から、昨年8回目を数えた全国大会の経緯を通して、被害者運動の過去、現在、未来について述べてみたいと思います。

2「犯罪被害者週間全国大会2010」

 2010年11月27日、東京都中央区の晴海グランドホテルに、北は北海道から南は九州、全国各地の犯罪被害者・家族が続々到着しました。午後から行われる交流会と翌28日の「犯罪被害者週間全国大会」に参加するためです。会場ロビーでは、再会と出会いを喜ぶ笑顔が今年も溢れていました。主催は全国19の被害者団体が集う「犯罪被害者団体ネットワーク」(愛称「ハートバンド」)の仲間です。一日目は、14団体、90名の被害者・遺族が集い、全体交流会と分科会。分科会はここ数年定着した「弁護士に聞く」「語りの部屋」「ワークショップ(歌声も)」「リラックスルーム」に分かれて語り、学び合います。全体での交流は、毎年夜が更けるまで続くのが恒例です。心に深い傷を負った当事者どうしが、心底から信頼し合うためには、時間をかけた交流の積み重ねが必要でした。8年前の大会準備会での出会い、7年前には合宿のような討議をしたこと、財政面など全国から集まるための苦心をしたことなどが懐かしく思い出されます。
 翌28日、広く市民に公開された全国大会には、内閣府、警察庁、国交省からの来賓と市民の方が加わり、総勢160人が会場を埋めました。第一部で、全国犯罪被害者の会(あすの会)の岡村勲代表幹事(当時)が、「犯罪被害者の権利を求めて」と題して、基本法や被害者参加制度など、被害者のための司法制度を創る崇高な闘いについて講演されました。聴講したある被害者は「深い感銘を受けました。被害者自身が声をあげ主張していく事こそ社会を変える力になるとの考えをあらたにしました」と感想を述べるなど、感動的で貴重な講演でした。第2部「被害者からの声」は、佐賀の殺人事件被害者の会・北村明子さんと、飲酒ひき逃げ事件の被害遺族・佐藤悦子さん。そしてフィナーレは、恒例の「つながるプログラム」。全国の被害者と支援の方々が固く手をつなぎ、被害者の権利回復と社会正義を実現しようと、今回は1羽1羽横につなげられた折り鶴で会場を飾り、「翼をください」の歌声が流れる中、希望の象徴である子どもたちの手によって、中央の大きなシンボルのハートバンドに、願いと折り鶴を結び、再会を約して終えました。

3 ハートバンドの誕生と発展~被害者団体ネットワークの軌跡~

 この全国大会の誕生の経緯、名称の変遷の中に、本稿のテーである犯罪被害者の尊厳と権利回復の貴重な足跡、およびハートバンドの歴史が端的に示されています。
 私たちが第1回全国大会とカウントしているのは、2003年10月3日、「日本大学カザルスホール」を会場に280名が集い開催された「犯罪被害者支援の日制定記念・中央大会」です。全国被害者支援ネットワーク(山上 皓会長)の主催で、当時全国21の被害者団体・自助グループに案内され、うち14団体が共同参画団体として準備段階から参加させていただきました。私は北海道交通事故被害者の会から「被害者の声」の発言機会も与えていただきましたが、孤立無援を感じていた犯罪被害者にようやく暖かい希望の光が差し込むような感慨を持ったことを覚えています。14団体の活動を紹介するパネルブースも設置され、メディアにも取り上げられました。この全国大会開催が、支援団体との連携強化とともに、犯罪被害者団体どうしが全国的につながる契機となったことは間違いありません。そして、被害者の権利回復が大きな世論となる一助にもなりました。
 2004年10月3日の第2回全国大会には、13の被害者団体が参加。大会では、「犯罪被害者の声を聞き、被害者の権利の尊重を求める決議」が採択され、「支援機関に対する財政的支援」「被害回復と生活支援」「二次被害と再被害の防止」という大項目に加え、「犯罪被害者の司法参加の推進と、被害者への情報提供の充実」「犯罪被害者基本法の制定」という焦眉の課題も掲げられました。
 そして、この年の12月1日、ついに犯罪被害者等基本法の制定をみます。前出の「あすの会」が全国を巡り、各地の被害者組織の協力を得て集めた55万人を超える署名が大きな力になりました。「犯罪被害者等の視点に立った施策を講じ、その権利利益の保護が図られる社会の実現」(前文)「すべて犯罪被害者等は、個人の尊厳にふさわしい処遇を保障される権利を有する」(第3条、基本理念)と、私たちが求め続けてきた被害者の視点と尊厳と権利が明記された、正に歴史的な法の制定でした。
 2005年の第3回全国大会は、この基本法の制定と施行(2005年4月1日)を受け、名称を「犯罪被害者等基本法制定記念全国大会」とし、日程も法制定前の日曜日である11月27日に変更しました。また主催は、被害者支援ネットワークと被害者団体との共催となりました。被害者が「支援されるべき可哀相な人」であってはならない、被害者問題の主体は被害者自身であるという議論を経て、被害者の尊厳を求める権利主体としての第一歩を踏み出したのです。大会前日には、基本法制定を記念し、被害者の尊厳を訴えるパレードを銀座で実施しました。
 被った犯罪の種別も態様も異なる全国の被害者団体は、この年から「犯罪被害者団体ネットワーク」(ハートバンド)という名の連合体となりました。ハートバンドは、それぞれの活動を尊重しあい、必要な連携と交流、情報交換とを無理なく行うゆるやかなネットワークで、その主な活動は全国大会の開催であるという確認がなされ、シンボルマークは、被害者の心とこれを支援する国民の心、二つのハートが重なり合うものに決められました。(※ハートバンドという通称とシンボルマークが決められたのは2007年の第5回大会から)
 そして2006年11月26日の第4回大会。日程を、2005年12月に閣議決定された「犯罪被害者等基本計画」の中で定められた犯罪被害者週間(11月25日~12月1日)に合わせ、名称も「犯罪被害者週間全国大会2006」としました。
 さらに2007年11月25日の第5回大会からは、ハートバンドの単独主催となりました。基本法の理念を社会のすみずみにまで広げ実質化するために、権利主体であることを自覚した被害者自身が自立した活動を、と力を合わせましたが、改めてここに至るまでに支援ネットワークなどから受けてきた支援の力を実感した大会でもありました。
 2008年11月30日の第6回大会、および翌2009年11月28日の第7回大会では、2008年12月から実施に移された刑事裁判における被害者参加制度など、司法制度改善の意義や課題が議論され、前項で報告した2010年の第8回大会へと引き継がれていきました。
 私たちは、ネットワークというゆるやかな連合体という性格から、各年の全国大会実行委員長を持ち回りで引き受けてもらっています。これまでの実行委員長(括弧内は所属団体等、2011年は今秋開催)は、★2005年 高橋シズヱ(地下鉄サリン事件被害者の会)、★2006年 菅原直志(被害者支援を創る会)、★2007年 前田敏章(北海道交通事故被害者の会)、★2008年 高石 弘(飲酒ひき逃げ事犯に厳罰を求める遺族・関係者全国連絡協議会)、★2009年 青木和代(生命のメッセージ展・少年犯罪被害者遺族)、★2010年 二宮 通(南の風)★2011年 花房孝典(全国交通事故遺族の会)となっています。
 なお、現在のハートバンドの構成は次の20団体です。青森被害者語りの会、佐賀犯罪被害・交通事故被害者遺族の会「一歩の会」、生命のメッセージ展、飲酒ひき逃げ事犯に厳罰を求める遺族・関係者全国連絡協議会、緒あしす(愛知)、風通信舎(兵庫)、NPO法人 KENTO(奈良)、NPO法人 交通事故後遺障害者家族の会、交通事故被害者家族ネットワーク、交通事故調書の開示を求める会、ころがれ会(熊本)、ジュピター(神奈川)、全国交通事故遺族の会、TAV交通死被害者の会、はがくれ(佐賀)、ピア・神奈川、被害者支援を創る会、ひだまりの会okinawa、北海道交通事故被害者の会、鹿児島犯罪被害者自助グループ「南の風」。

4 「いのち・きぼう・未来」

 2005年以来、大会のサブスローガンとして掲げられている「いのち・きぼう・未来」は、全国の被害者団体が交流を重視し心一つになり、広く国民の支援の心とつながろうと、大会準備の実行委員会を重ねる中で決定しました。
 犯罪被害のない、誰もが安心して暮らせる社会という国民共通の願いを実現するには、被害者理解の拡がりが欠かせません。とりわけ、日本社会は犯罪や事故の被害者に対する偏見が非常に強く、「何かしたからやられたのではないか」などと、被害を受ける理由が被害者にあったのではないかという歪んだ見方があり、こうしたことが被害者の尊厳と権利の実現を妨げていますから、公開の大会で自ら被害の実相を語り、現状や課題を発信することは極めて重要です。
 このスローガンには、被害者の視点から、生命への共感を拡げ、そして社会全体が希望ある未来へ向かって欲しい、という切なる願いが込められています。
 ハートバンド誕生からの9年あまりを振り返るとき、基本法制定と刑事司法における被害者参加制度、公訴時効制度見直しなどに象徴されますが、被害者の尊厳と権利回復にとって正にドラスチックな前進がみられた時代であったと思います。そして今後に向けて財産とすべきは、その前進は被害者自身が連携・協働し、血の滲むようなとりくみによって得られたということです。私たちはこの確信を希望とし、さらに前へ進まなければなりません。繰り返しますが、基本法の理念が制度面や国民意識など、社会のすみずみに浸透して、真に希望ある社会を展望するには、まだまだ課題が山積しているからです。
 しかし、当事者として担う各被害者団体とそれをつなぐハートバンドの活動基盤には、まだまだ脆弱な面があります。ハートバンドのこれまでの貴重な活動も、実質的な事務局長を長く務めてきた菅原直志さんをはじめとする首都圏の運営委員の方の献身的な努力によって支えられてきました。こうした実情を汲み取り、「尊厳にふさわしい処遇を権利として保障すること」と基本計画の方針に掲げられた課題が着実に進められるために、さらなるご理解を賜りたく願っています。
 そうした意味でも、私たちの活動を、発足以来正に物心両面から支えていただいている、全国被害者支援ネットワーク、日本財団、犯罪被害者救援基金をはじめ、関係機関と団体に厚くお礼を申し上げるととともに、広く国民の皆さまに今後ともよりいっそうのご理解とご支援をお願いして、筆を置かせていただきます。
  

〈出典〉

犯罪被害者支援の過去・現在・未来
-犯罪被害者支援20年・犯罪被害給付制度及び救援基金30年記念誌-

平成23年9月30日発行

編集・発行:認定特定非営利活動法人全国被害者支援ネットワーク
      日本被害者学会
      公益財団法人犯罪被害救援基金
      警察庁犯罪被害者支援室

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