江戸前期の一六九一年に来日したドイツ人の船医ケンペルは、日本橋の街中を通った時、みごとに着飾った婦人たちに出会い、驚いたという。当時のヨーロッパでは、道路に雑排水や生ごみ、時にはし尿までも捨てられ、不潔でぬかるんでいたため、「着飾った婦人」たちは衣服が汚れるので歩けなかったからだ。
パリやロンドンで辻馬車が愛用されたのもこのためで、段差のある歩道は、不潔な足元を避けるためにつくられた。馬車から歩行者を守るためのものではなかったそうである。
岡並木著「江戸・パリ・ロンドン、比較都市論の旅」の指摘に、文明の尺度と教わってきた舗装や、下水道、段差のある歩道が、不潔さからのがれるための「対症療法」であったと知りびっくりした。
一方、江戸ではごみや排水の管理が行き届き、生ごみやし尿は近郊の農家が肥料としてリサイクルするという「原因療法」的都市づくりがされていた。このため、ヨーロッパではほぼ二十年ごとに大流行した経口伝染病が、江戸時代の二百六十五年間には三回しか記録されていないという。
この本を手にしたのは、クルマに依存しない街づくりに興味があったからだ。ヨーロッパではクルマの利便さ一辺倒を脱却し、人間が対応できる程度に車の速度を落とさざるを得ない道路構造に変え、子どもを遊ばせても良いほどの安全性を確保した「人と車の共存の道」(ボンエルフ)が造られつつあるというのだ。
交通事故被害者の会の例会で「また犠牲が」という嘆きがなくなるのはいつだろう。「原因療法」による「被害ゼロ」の方策を立てなくてはならない。
「進歩」を急ぐあまり大事なものを忘れてきたが、ヨーロッパにまさる祖先の知恵を現代の都市に生かすことは必ずできる、という岡さんのあとがきに励まされた。
(前田敏章=北海道交通事故被害者の会代表)
(「北海道新聞」2002年10月3日夕刊のコラム「プラネタリウム」に掲載)