交通死ー遺された親の叫びⅠ(2013~1998)

【コラムNo.025】 2008/1/12  福岡地裁の不当判決に怒り  高裁での逆転公正判決と刑法の再改正を求める(2/9一部改訂)

投稿日:2008年1月12日 更新日:

「飲酒、時速100キロ、12秒以上の脇見」を「正常な運転が困難な状態とは認められない」と判示した福岡地裁の非常識

福岡地裁の川口宰護(しょうご)裁判官は1月8日、福岡3児死亡事件の加害者に対し、危険運転致死傷罪(以降「危運罪」と略)を適用せず、業務上過失致死傷罪(以降「業過」と略)と酒気帯び運転・ひき逃げとの併合罪で懲役7年6月(求刑は「危運罪」での25年)を言い渡しました。

判決間近の昨年12月末に、福岡地裁が地検に対し業過を予備的訴因として追加する命令を出したことに衝撃を受けていましたが、実際の不当判決の報に、愕然とし体中から力が抜ける思いでした。これでは、一昨年来の飲酒運転は許さないという安全への願いに水をさし、クルマであれば道路上で命を奪っても「事故だから」と不当に軽く扱う風潮を容認することになります。

裁判所は事実認定として、被告が焼酎ロック8~9杯はじめ大量に飲酒した上、時速100キロで現場を走行し、最大12秒以上も脇見運転をしたことを挙げたそうです。この行為のどれ一つとっても異常な危険運転行為です。これが「危運罪」でなければ、危険運転とは一体何なのでしょう。「危運罪」は正真正銘の「画餅」となってしまいます。朝日新聞は翌9日の社説で「危険運転でないとは」「普通の人の常識に反していないだろうか」と判決に疑問を呈し、続く解説記事で「飲酒事故判決、社会と司法に溝」という見出しをつけました。その通りです。まさに裁判官の良識が疑われる不当判決です。

福岡地裁が「被告が酒の影響で正常な運転が困難な状態にあったとは認められない」とした「理由」も言語道断です。傍聴した遺族からの報告によりますと、検察は、「鑑定などを根拠に事故当時(証拠隠滅のために大量に水を飲む前)の被告の血中濃度が0.9~1.0mg/mlだった」と主張しましたが、地裁はこれを「体重・体質・胃の粘膜の状況など、個体差が大きいために採用できない」とし、また、「その症状にも個人差があるので、直ちに運転操作が極めて困難な状態にあったとまで認めることができない」と詭弁を弄したそうです。裁判官自らが、法の網の目を拡げ、罪を見逃し、卑劣な「逃げ得」を容認したのです。

飲酒の上に「自分は大丈夫」と思って運転したのですから、この時点で故意であり、「正常な運転が困難であった」ことは、事件が起きる前の走行状態ではなく、制限速度超過50キロと12秒もの脇見という異常な(=正常でない)危険運転で相手を死に至らしめたという結果(=事実)でこれを立証すべきです。

「危運罪」の適用にはこれまでもばらつきがありましたが、中には困難とされる故意性の認定を大胆に行った判例もあると聞きます。福岡地裁に求められていたのは、「危運罪」のそもそもの立法趣旨に立ち戻り、昨年来の飲酒運転撲滅を願う社会的要請に応えた、踏み込んだ判例を示すことであったはずです。川口裁判官が、これに応えず適用のハードルを自ら高くしたことは、当然非難されるべきです。

高裁での逆転公正判決と刑法の抜本的見直しを

検察は直ちに控訴すべきです。高裁において、この不当判決が破棄され、検察の当初の訴因および求刑通り「危運罪」での懲役25年という逆転の正義の判決が為されることを切望します。大上さんご夫妻も何よりそれを願っていると思います。

6年前の2001年、「危運罪」の新設に向けては、設立間もない北海道交通事故被害者の会も、必死の思いで署名を集め、呼びかけ人の鈴木共子さんと井上ご夫妻に託しました。しかし、出来上がった法は、当初からその矛盾が指摘される欠陥法でもありました。

矛盾の一つは、「危運罪」適用のハードルが高く実態に合わないことです。危険運転の故意とは、「正常な運転は困難」と運転者が認識していたことを指すのですが、内心の問題を事実の積み重ねで立証するのは極めて高いハードルであり、結果として「絵に画いた餅」となるのではという危惧が当初からありました。二つ目の問題は、「危運罪」が適用されない場合の「自動車運転過失致死傷罪」の最高刑が7年(改正前は「業過」の5年)と、「危運罪」の20年に比し、あまりに低いことです。これが今回のように重刑適用をためらう一因となります。そして、もう一つ。「危運罪」と同時に「業過」の条項(211条2項)に「(自動車運転の場合は)その傷害が軽いときは、情状により、その刑を免除することができる」という刑の裁量的免除規定が付加されたことです。これは、交通事犯を特別扱いし、「過失」だからと他の業過犯より軽く扱うことを明記してしまったという不当極まりない規定です。さらに付け加えるなら、この業過致死傷罪というのは交通事犯が社会的問題になる前に規定されたもので、最高刑が窃盗罪より低いという不合理なものです。(注1の関係法令参照)

これらの法的不備の問題と、それを運用する捜査機関や裁判所の問題もあり、社会正義とかけ離れた適用件数(年間わずか200~300件台であり、全交通事犯、80~90万件台のうち0.03%という天文学的数字。飲酒運転事件に限っても、2006年は11625件中159件、1.4%に留まっています)になりました。懸念されていた「絵に画いた餅」が実際となり、同法適用を求めたたかった道内の被害者も、そのほとんどが無念の思いをしています。
(参照:断ち切れ「加害者天国」 「危険運転致死」適用拡大を)

被害の側からは、公道上で何の非もないのに、見ず知らずの者に突然命まで奪われる、正に「通り魔殺人的被害」です。これを「かわいそうだが、事故だから仕方ない」と、加害者に偏った見方をする病んだ社会を、理性の力で正常に戻さなくてなりません。

福岡地裁の判決は、裁判官の非常識とともに、不当な判決に口実を与えた「危運罪」の矛盾と刑法体系の不整合を白日のもとに晒しました。上級審で公正に「危運罪」適用を望むとともに、これを契機に、①「危運罪」適用のハードルを抜本的に下げ、②「自動車運転過失致死傷罪」の最高刑を上げ、下限についても死亡の場合を1年以上とするなど、現行法の矛盾を改め、真に命を守る法律体系にすべきです。

交通死傷「被害ゼロ」の社会を

それにしても、今回の福岡の事件報道で、件名を「福岡飲酒事故」あるいは「飲酒運転事故」「3幼児死亡事故」など「事故」と表記しているのは何故でしょうか。福岡の事件に事故(=アクシデント)という要素がどこにあるのでしょうか。偶然に起こった災難という捉え方が、命を軽く扱う「クルマ優先社会」を正視できなくさせているのではないでしょうか。

地方紙「北海道新聞」の福岡事件論説記事「事故撲滅の重い教訓に」(2008年1月9日付け)にも、失望させられました。「(裁判所の判断は)世間の感情とは違うかもしれないが、客観的な証拠に基づいた中で、最高刑を科したところに裁判官の思いが見てとれる。」と、不当判決肯定です。判決に対する批判を「(世間の)感情」と見くびり、厳罰を望むのは遺族の感情論と批判的に括るのは、交通事犯被害の本質、被害者の立場や権利に対する無理解にほかなりません。これは法曹界や学会にも根強くあるのですが、法は何のためにあるのかという原点から問い直して欲しいと思います。

先日1月11日、政府の交通対策本部が、年2回(2月20日と4月10日)を「交通事故死ゼロを目指す日」に定めることを決めたそうですが、これも感覚麻痺からくる倒錯で、年間の交通死者数を五千人以下にという政府目標のおかしさと同列です。「交通事故死」を「通り魔殺人被害死」と正しく(もちろん事故も含まれていると思いますが、被害者に過失のないケースが大半です)言い換えてみて下さい。その日以外は仕方ないのでしょうか。何故負傷者数も含めて、年間の「被害ゼロ」を目標とできないのでしょうか。

交通死だけでなく負傷も含め「被害ゼロ」へと、社会全体が直ちに具体的に動かなくてはなりません。

◆注1 刑法抜粋

(危険運転致死傷)
第208条の二 アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させ、よって、人を負傷させた者は十五年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は一年以上の有期懲役に処する。その進行を制御することが困難な高速度で、又はその進行を制御する技能を有しないで自動車を走行させ、よって人を死傷させた者も、同様とする。
2 人又は車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入し、その他通行中の人又は車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転し、よって人を死傷させた者も、前項と同様とする。赤色信号又はこれに相当する信号を殊更に無視し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転し、よって人を死傷させた者も、同様とする。

(業務上過失致死傷等)
第211条 業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、五年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする。
2 自動車の運転上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、七年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。ただし、その傷害が軽いときは、情状により、その刑を免除することができる。

※(殺人)
第199条 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。

※(窃盗)
第235条 他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。

◆注2 「未必の故意」について

「未必の故意」:行為者が、罪となる事実の発生を積極的に意図・希望したわけではないが、自己の行為から、ある事実が発生するかもしれないと思いながら、発生しても仕方がないと認めて、行為する心理状態。故意の一種(「広辞苑」第3版)

◆注3 「北海道交通事故被害者の会」の要望事項より抜粋

4 自動車運転が危険な行為であるという社会的共通認識があるというべきであるから、交通犯罪の場合は、過失犯であってもその結果の重大性に見合う処罰を科すことが、交通犯罪抑止のために不可欠である。交通犯罪については、特別の犯罪類型として厳罰化をすること。

4-1  危険運転致死傷罪が全ての危険運転行為の抑止となるように、適用要件を大幅に緩和する法改正を行い、結果責任として厳しく裁くこと。前方不注意のような安全確認義務違反など、違法な運転行為に因って傷害を与えた場合は「未必の故意」による危険運転として裁くこと。交通犯罪のもたらす結果の重大性からも、新設された「自動車運転過失致死傷罪」の最高刑をさらに上げることや、飲酒ひき逃げの「逃げ得」という矛盾を生まない厳罰化など、法体系を整備すること。

4-2 交通犯罪に対する起訴便宜主義の濫用を避け、起訴率を上げること。刑法211条2項の「傷害が軽いときは、情状により、その刑を免除できる」という「刑の裁量的免除」規定は廃止すること。

※参考:2007年2月 法制審での会としての発言

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