交通死ー遺された親の叫びⅠ(2013~1998)

【コラムNo.021】 2007/1/1 貴重な一歩、法務省と警察庁が交通犯罪厳罰化の方針

2007年1月1日

◆犯罪被害者等基本法制定に一筋の光を感じたのが、2004年12月でした。それから2年。2007年は新たな期待を感じる中で迎えることが出来ました。「人身事故に重い罰 脇見・速度超過・・・」。大晦日の2006年12月31日、法務省が自動車の人身事故に限った新たな規定を刑法に設ける方針を固めたと報じられたからです。(「日本経済新聞06/12/31」)

◆その数日前12月28日、警察庁は飲酒運転とひき逃げの厳罰化を盛り込んだ道交法改正試案を発表しましたが、今回の法務省方針は、交通事犯の厳罰化を飲酒ひき逃げに限定せず、前方不注意や速度超過など重大な結果につながる業務上過失致死傷罪にまで対象を拡げる判断をしたもので、正に貴重な一歩です。

◆11年前、前方不注視の運転者によって最愛の長女を奪われた私は、娘の被害はどう考えても「通り魔殺人的被害」であるのに、命を奪った加害者が窃盗より軽い刑罰(禁固1年、執行猶予3年)で裁かれたことに驚愕しました(業務上過失致死傷罪は窃盗や詐欺罪の半分の量刑でしか裁かれない。例えば当時、10万円相当のバイクを盗んだ罪が懲役1年2か月、執行猶予3年だったという判例もある)。

◆以来私は、娘の「命の尊厳」を守りたいという一念で世に訴え活動を続けて来ました。北海道交通事故被害者の会の設立(1999年)と活動に関わり、2000年1月に当サイトを立ち上げたのもこうした思いからでした。

◆北海道交通事故被害者の会では、2002年11月に定めた要望事項の中で危険運転致死傷罪の適用要件拡大など矛盾是正とともに、交通犯罪を特別の犯罪類型として厳罰化することをあげており、警察庁など関係機関に提出していました。当時「自動車運転業務過失致死傷罪」(仮称)を提案された内藤裕次さん(現副代表)の先見性に感心します。

◆2006年8月、福岡で幼児3人が飲酒ひき逃げ犯の犠牲になり、飲酒運転など悪質交通犯罪を根絶しようという世論が盛り上がりました。そして同年9月、埼玉県川口市で「脇見」とされる暴走車が園児の列に突っ込み、幼稚園児4人が死亡、17人重軽傷という参事。改めて交通事犯全般の厳罰化が訴えられました。

◆福岡、川口の遺族の訴えの前に、数年前より厳罰化署名を行っていた遺族がいます。江別市で2003年2月に飲酒ひき逃げ犯に息子を奪われた高石弘・洋子ご夫妻は、その年の8月から飲酒ひき逃げの厳罰化を求める署名を始めました。その後、大分県の佐藤啓治・悦子ご夫妻が合流し、千葉の井上保孝・郁美ご夫妻を幹事に「飲酒・ひき逃げ事犯に厳罰を求める遺族・関係者全国連絡協議会」が発足。30万に及ぶ署名を集め法務大臣に訴え続け、政府を動かす大きな力になりました。

◆もちろん楽観は許されません。2001年に新設された危険運転致死傷罪が、その立法趣旨からはずれ、そもそも立証の困難な故意性を適用要件とするなどとしたため「絵に描いたもち」になってしまった(本コラムNo.15.参照)という轍を踏んではならないと思います。

◆「被害ゼロ」の道へ確実につながる法体系となるよう、声をあげ、訴えていきましょう。クルマは「凶器」として使われるのでなく、決して人を傷つけないという使われ方をしてはじめて文明の利器となります。クルマを「作る」のも、「使う」のも、「使わせる」のも、人間と人間社会の為すことです。

◆新年にあたり願うことは、「交通死傷被害○○人以下を目標にする」という言葉が死語となる社会の実現です。

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