相互支援の記録(2000〜2013)

【No.011】 飲酒・ひき逃げ犯の厳罰化を求める署名運動

2003年8月12日

逃げ得解消の法改正がされました。ご協力に感謝します
~2013年11月20日、「アルコール等発覚免脱罪」を含む「自動車運転死傷行為処罰法」が成立~

「北海道新聞」11月21日付

「北海道新聞」11月21日付

 2003年以来、皆様に多大なご協力をいただいた飲酒・ひき逃げ犯の厳罰化を求める署名活動ですが、2013年11月20日に成立した「自動車運転死傷行為処罰法」によって、いわゆる「逃げ得」という法の矛盾はほぼ解消されることとなりました。(「北海道新聞」11月21日記事参照)
 全国連絡会の共同代表として10年に及ぶ署名活動を牽引した江別市の高石さんの思いを、地元TVのHBC(北海道放送)が12月10日、特集で報じましたので紹介します。
 これまでの多くの皆様のご協力に深く感謝致します。なお、新法は2014年5月までに施行となりますが、実際の運用および自動車運転による致死傷行為の刑罰の適正化にはさらなる課題も残されています。今後ともご理解とご協力をお願いします。(前田)

HBC特集「飲酒ひき逃げを許さない 厳罰求めた母の10年」

(2013年12月10日放映)

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「飲酒ひき逃げ犯の厳罰化を求める署名運動」の開始とこれまでの経過

高1の息子さんを、悪質な飲酒、ひき逃げで奪われ、法改正を求める署名活動を始めた高石さんの訴え

飲酒・ひき逃げ犯の厳罰化を求める署名にご協力下さい
2003.8.12.UP 2007.6.27.新署名用紙UP

経過概要要請署名活動の経過「いのちのパネル」で訴え

【写真】悪質なひき逃げ犯の犠牲になった拓那さん(当時16歳、高1)

 息子拓那(たくな)は、平成15年2月12日早朝、江別市野幌で起きたひき逃げ事件の犠牲になり、わずか16歳で命を絶たれました。
 現在、犯人は、懲役2年10月の受刑中ですが、事故の経緯は、とてもむごいものでした。
 車にはねられ、動けない体の上に白い雪が降り積もっている時、犯人は飲酒の発覚を恐れ、何度も拓那を確認しながら、置き去りにして逃げてしまったのです。
 同乗者もいたのに、人間として一番大切なものが欠落した悪質な行為でした。ところが、法律は、犯人の心よりもっと不完全なものでした。

 逃げたことにより、飲酒を免れ、車の修理をして証拠隠滅をしようとした行為も免れ、寝ないで飲んで遊んで、眠くなってくる朝方に人を撥ねたのに、わき見運転の供述が通り、時速50㎞/hの供述も、判決文にそのまま載ってしまうのです。
 犯人は、逃げたことにより、刑を軽くすることができ、人々に「逃げた方が得だよ」と言うでしょう。
 もし、犯人が逃げなかったら、危険運転致死罪に問われ、もっと重い判決になっただろうからです。
 放火が、殺人より罪が重いと、誰もが知っているように、ひき逃げは殺人より罪が重いと知らしめる必要があるのではないでしょうか。法律を早急に改善しなければ、被害者はかけがえのない命をなくしかねないばかりか、加害者は犯さなくて良いひき逃げの罪を重ねかねません。
 誰かがやらなければ何も変わらないと思い、この署名を始めました。
 16歳で逝った子どもの命を無駄にしたくありません。ご協力をお願いします。

2003年8月12日 高石 弘、洋子

経過概要

2003年2月12日
高石拓那さんひき逃げ事件発生
2003年8月
署名用紙作成、街頭署名開始
2003年11月27日
野沢法務大臣に第1回目となる署名提出(5万筆)。
2005年6月15日
 交通事故問題を考える国会議員の会(通称「交通事故議連」)が、総会を開き「飲酒運転・ひき逃げ事犯の厳罰化」を活動方針として取り上げる。
2005年7月
「飲酒・ひき逃げ事犯に厳罰を求める遺族・関係者全国連絡協議会」発足
※ページ内リンク→「飲酒・ひき逃げ事犯に厳罰を求める遺族・関係者全国連絡協議会」の発足について 2005年7月30日
2007年4月 
法務大臣に追加の署名(11万筆)を提出。総数30万筆に。
同月12日 参議院内閣委員会で参考人として「ひき逃げに厳罰を」訴える。
2007年6月
道交法が改正され、飲酒ひき逃げの罰則が強化される。
2010年6月
法務大臣に追加の署名(8万筆)を提出(7回目) 総数52万筆に。
2013年11月
逃げ得解消の法改正(自動車運転死傷行為処罰法)成る。

要請署名活動の経過

2003年8月12日
第1回街頭署名活動の報告…何と一日の行動で5,000筆

 8月12日第一回目の街頭署名活動が北海道江別市野幌のJR野幌駅、ポスフール、イトーヨーカドー、セリオの4カ所で一斉に行われました。
 この日の行動には、高石さんご夫婦と、拓那さんの友人の高校生、そして、江別市のサークルのお兄さんお姉さんたち、総勢が50人が参加。午前10時から、午後7時まで懸命に訴えました。あらかじめ新聞やTVで報道されていたこともあり、市民の反応は大変良く、集まった署名は何と一日で5,000筆に達しました。
 なおこの模様はSTVの夕方のニュースに流されました。(前田)

署名が行われた4カ所に設けられた看板(上は野幌駅)

野幌駅で

野幌ポスフール前

野幌ポスフール前(中央が高石弘さん)

 

2003年8月16日

 反響は、江別はもとより、全国に広まっていることを感じております。
 私のアドレスにもたくさんの、応援者のメールが来ています。
 今日、こんなことがありました。
 署名用紙が欲しいと連絡があり、公園に届けに行くと、そこは盆踊り会場で、夜店と夜店の間に長いテーブルがあってそこに署名用紙がたくさん張ってあるのです。脇に男の子がちょこんと座っているだけなのですが、署名をしようとしている人が、並んでいるのです。
 なんと、知らないところでたくさんの人が動いてくれているのです。
 また、こんなメールも来ました。
 「いま、会社に、女の子が二人やってきて、署名をしてくれというので、しました。その後、よく読んでみると、メールせずにはいられなかった」というのです。
 おどろいたのは、署名をして回っている子供たちがいるということです。指示しているわけではありません。子供たちの行動力には、感服しています。
 近く、札幌で署名活動をする予定です。決まり次第連絡します。
 現在、街頭署名活動と平行して署名用紙を置いてくれるところを探しています。サービスカウンターや、喫茶店など、色んなところに置かせてもらってます。
 また、連絡します。では (高石)

2003年8月16日
「ひき逃げの法定刑厳罰化の法改正を求める」署名活動を協力いたします。

 私の娘真弓も飲酒轢き逃げで死亡しました。
 前回の法改正の署名活動の時も請願書に「轢き逃げは故意犯であり飲酒運転は、ハンドルを握った時点で未必の故意の殺人である。
 逃げ得など決して許してはならない」と訴え、カリホルニアでは飲酒轢き逃げ死亡事故の場合は終身刑である。と実状を上げ提出したものです。
 今回の署名活動は私が長年訴えてきたものです。微力ながら活動を共にしたいと思います。関東地区の世話人になってもいいです。
 法務大臣に提出時は時間の許す限り同行します。
 メッセージ展メンバーでも大坂の松田さん、千葉の谷口さん他、轢き逃げで悔しい思いをした方がおりいつか活動しようと約束していました。
 今は興奮してまとまりませんが宜しくお願いします。
秦野 敞子 ホームページ「真弓の心の叫び」

2003年8月17日

 みなさまには、大切な時間を割いていただき、また、用紙コピーなどのお手数、コピー代援助等賜りまして、大変感謝しております。
 なにも解らないまま、手探りでこの運動を始めてしまい、たくさんの方に迷惑をかけ大変申し訳なく思っています。
 現在、警察は、飲酒の罰則を強化し、違反者検挙に一生懸命ですが、同時にひき逃げに対し強化しなければ片手落ちだと言う事に気がついておりません。
 このままではひき逃げを助長させ、ますます増えてしまうでしょう。
 ひき逃げは、助かる命や、軽くすむ障害の芽をついばむばかりか、被害者の家族の心に対して、とても重いしこりを残します。
 署名活動をしていて感じたことは、刑の軽さが知られていない事と、とてもたくさんの人が、賛同してくれることです。
 みんなの刑に対する考えは、検察庁の中、裁判所の中とは、あまりに対象的です。
 つきましては、全国規模で活動すべく同士、相談にのってくださる賢者を募っています。
 勝手なお願いとは思いましたが、少しでも早く多くの人にわかってもらうために、どうかよろしくお願いします。(高石)

2003年8月30日
第2回街頭署名活動の報告・・・札幌でも5,000筆達成

 8月30日、第2回目の街頭署名活動が札幌市の駅前通り5カ所の交差点で行われました。
 拓那さんの中学や高校の同級生などを中心に、のべ70人が参加。午前10時から夕方6時まで続けられ、何と一日で5,181筆を集めました。
 この日の行動ではやくも1万筆を突破、運動は大きく広がりつつあります(前田)

署名開始の打ち合わせ

新装なった札幌駅前で署名は進む

若い人の訴えに快く応じる人たち

TVも取材に入っていました

2003年9月14日
第3回街頭署名活動の報告・・・40人で1,900筆

 9月14日、3回目の街頭署名活動が札幌市で行われました。
 台風が過ぎた後の蒸し暑さの中、拓那さんの中学や高校の同級生などを中心に、のべ40人が参加。この日集められた署名は1,900筆でした。

2003年11月27日
野沢法務大臣への署名提出報告

 11月27日、拓那の友人のお父さんの紹介で、突然、野沢法務大臣に直接署名を手渡す機会が訪れました。
 急遽準備し、私たち夫婦と拓那の友人二人で、それまでに届いた5万筆の署名を持って上京。
 東京で秦野さんと合流し野沢大臣と20分に及ぶ会見。
 50,911筆の署名と要請書を手渡しました。北海道新聞
 大臣からは「遺族の気持ちを受け止め検討したい」旨の返答を受けました。

2003年12月27日
そして一月後の2003/12/27 
国家公安委員会から12/22付けで、要請書に対する「回答」が届きました。

 要点は「平成13年に道交法のひき逃げの罰則を改正しているので、その後の推移をみながら慎重に検討したい」というもので、「逃げ得」についての言及もなく、法改正を早急に始めるといった文面を期待していた私たちにしてみると、肩透かしされたように気持ちもあります。
 しかし、5万人の署名の重みが返書につながったことも事実です。
 運動はこれからと希望的観測もしています。

2004年1月27日
輪禍死の後輩にささげる歌 
野幌高校の女子デュオ「WARMS」初CD「一番星」(歌詞あり)発売

 現在も署名活動を行っていますが、特に「ウォームス」というデビューの決まった2人の女の子が、拓那のために作ってくれた歌とともに、全国ツアーで、署名を訴えてくれており、全国の高校生から今も送られてきています。
 「一番星」というCDは、1月25日に発売されますので、メッセージソングを聞いて欲しいと思います。
 最後に、私たちは、実は人のためにとか格好良いものではなく、自分たちが息をしていくためにこの署名活動をしていることを言わなければなりません。どうか、これからも皆様のご協力をお願いします。(2004/1/6 高石 弘・洋子)

2004年3月13日

 札幌で第4回目の街頭署名を行いました。寒い中、30人の仲間が集まって、6時間頑張り1,062筆の協力を得ました。

2004年3月27日
札幌と岩見沢で第5回目の街頭署名を行いました。

札幌駅前で署名を訴える男子高校生

 10:00~17:00まで、寒風の中で訴え、札幌では約40人の参加で1,374筆、岩見沢では7人で311筆の署名を得ました。(合計1,685筆)参加したのは高石さんのご両親をはじめ、拓那さん(当時高校1年)の同級生の高校生が中心で、前回3月13日に続いての行動です。
 若い人の奮闘に本当に励まされます。

2004年3月28日

 札幌で第6回目の街頭署名を行いました。冷たい風の中、30人の仲間が集まり、6時間声をからして訴え1,729筆もの協力を得ました。

2005年4月4日
2回目の法務大臣要請を行いました

 2005年4月4日、千葉の井上保孝・郁美さんご夫妻の力添えもあり、大分の佐藤さん、東京の秦野敞子さんら6遺族とともに、北海道からの約1万5千筆の追加署名も携え、南野法務大臣に直接要請することができました。(大分佐藤さんのページ  関連記事→2005/4/5「朝日新聞」)
 大臣に「この要望書は重く受け止める」と言っていただきましたが、国会への働きかけを力強く約束してくれた議員さんともお会いでき、今後に期待しています。
 今回集約された署名数は97,931筆。一昨年提出分(北海道から約5万筆)と合わせると累計で148,842筆になります。今後もご協力下さい。
高石 弘・洋子
2005年4月6日現在 65,461筆 (うち提出済50,911筆)です

 ご協力に感謝します。引き続きお願いします
 同じ被害遺族である大分県の佐藤さんが、高石さんと連携して「署名」に取り組んでいます
 ホームページ:「父と同じ道を歩んでいた・・・」をご覧下さい(2004/9)
 佐藤さんは、04年9月18、19の両日、大分市で街頭署名を行い、約6,000筆の協力を得、現在総計42,000筆の署名を集約しているそうです。(2004/9/25)
 拓那さんの卒業証書をご両親が受け取りました HBCニュース

2005年4月16、17日
札幌で7・8回目の街頭署名を行いました。

札幌市内での署名。「絆」のTシャツは九州での活動に使用しているもの。(写真提供、大分の佐藤さん)

 拓那君の同級生など青年を中心に30人以上で駅前から大通り、三越前など中心街で訴えました。16日は好天にも恵まれ午前10時から夕方まで頑張り、3,018筆。
 17日はあいにく午後からみぞれ模様となり、途中で切り上げましたが、それでも702筆合計で3,720筆もの署名を集めることができました。
 大分県から駆けつけてくれた佐藤悦子さんは、息子さんの写真を胸に掛け、次から次へたくさんの人に声をかけ、何と400筆以上の署名を集めていただきました。
旭川からは山下さんご夫妻も駆けつけてくれました。ありがとうございました。お疲れ様でした。(2005/4/18)

2005年7月30日
「飲酒・ひき逃げ事犯に厳罰を求める遺族・関係者全国連絡協議会」の発足について

◆発足の趣意書

 最近、飲酒運転の上で交通事故を起こし、その後負傷者を救護することなしに現場を立ち去ってしまうひき逃げ犯が急増しています。

 これには、飲酒人身事故に対して厳罰が下される「危険運転致死傷罪」の新設が影響していると考えられます。現場から逃げるという行為の背景に、多くの場合、飲酒運転の発覚を恐れていったん事故現場から逃走し、体内からアルコールが抜けたころに自首することによって、業務上過失致死傷罪より厳罰が科される危険運転致死傷罪の適用が困難になるという実情があります。

 その結果、より悪質にもかかわらず逃げたほうが結果的に罪が軽くなるという、おかしな現象が生じています。

 もし、加害者が逃げずに救急車を呼んでいれば被害者は助かっていたかもと考えると、逃げた加害者はより厳しく罰せられてしかるべきだと思います。これまでも、飲酒・ひき逃げ犯罪によって大切な家族の命を断ち切られた遺族が個々に自分たちの体験を通じてその不条理を訴え、飲酒・ひき逃げ犯に厳罰を求める署名活動を行ってきました。

 そして今年4月までに累計で約15万人分の署名を法務大臣に届け、厳罰化を要望しています。

 このような状況下で、早期に法律の改正に向けて、被害者遺族や支援者等の関係者が互いに連携を保ち、今まで主に地元を中心に行ってきた署名活動を全国的に展開し、広く国民に協力を呼びかけて、その活動の輪を広げるために、「飲酒・ひき逃げ事犯に厳罰を求める遺族・関係者全国連絡協議会」を発足させることにしました。

◆全国連絡協議会の要望内容

 飲酒・ひき逃げ事犯に対して、より厳罰が下されるよう、刑法を含む関連法の改正を要望します。

◆主要メンバー

共同代表 佐藤啓治・佐藤悦子(大分県東国東郡)
同    高石 弘・高石洋子(北海道江別市)
賛同遺族 秦野敞子(東京都町田市)
同    岩崎悦子(東京都多摩市)
同    佐藤清志(東京都品川区)
幹事   井上保孝・井上郁美(千葉県千葉市)

息子さんをひき逃げで奪われた大分の佐藤さんが、
高石さんと連携してひき逃げの厳罰化を求める署名活動を展開中です。

 5月から活動を始め、すでに25,000筆以上集めているそうです。

ホームページ

父と同じ道を歩んでいた...
父と同じ道を歩んでいた・・・

takamichi.moo.jp

2004/9/11

飲酒・ひき逃げ犯の厳罰化を求める署名にご協力下さい

法務大臣殿

飲酒・ひき逃げ犯に対して「逃げ得」がまかりとおることがないよう
刑法を含む関連法の改正を要望します。

「飲酒・ひき逃げ事犯に厳罰を求める遺族・関係者全国連絡協議会」

署名の趣旨

 最近、飲酒運転の上で交通事故を起こし、その後負傷者を救護することなく現場を立ち去ってしまう飲酒・ひき逃げ犯が急増しています。
 飲酒運転の発覚を恐れていったん事故現場から逃走し、体内からアルコールが抜けてから自首したり逮捕されたりしたドライバーが、危険運転致死傷罪(最高刑懲役20年)の適用を逃れ、軽い罪で裁かれてしまっている事例が後を絶たないからです。
 罪に罪を重ねたのにもかかわらず、逃げたがゆえに軽い罰にしか処されないという、「逃げ得」を許している法の抜け穴は、2007年通常国会の刑法及び道路交通法の一部改正をもってしても残念ながら塞がっていません。
 もし、加害者が逃げずに救急車を呼んでいてくれていたら被害者は助かっていたかもと考えると、逃げた加害者はより厳しく罰せられてしかるべきだと思います。
私たちは、このような状況が早期に是正されるよう、関連する法律の改正にむけて、被害者遺族や支援者等の関係者が互いに連携を保ち、広く全国民に協力を呼びかけ、多くの賛同の意を立法に携わる人たちに伝えるため、ここに署名を添えて要望します。

※現行法では、酒酔いによる危険運転致死傷罪の法定刑は20年以下です。一方で、改正された「自動車運転過失致死傷罪」でも法定刑は7年以下であり、ひき逃げ(改正道交法の救護義務違反=法定刑10年以下)を併合罪として適用しても法定刑は最大で15年となっています。したがって、酒に酔って事故を起こした者は、逃げて飲酒検査を免れた方が刑が軽くなるという矛盾は依然残っているのです。

※ 署名用紙作成:2003年8月 

※「飲酒・ひき逃げ事犯に厳罰を求める遺族・関係者全国連絡協議会」発足(趣意書PDFに伴う署名用紙の改訂:2005年8月

※ 刑法改正および道路交通法改正に伴う再改訂:2007年5月

2005年8月30日

 札幌で9回目となる街頭署名を三越前と大通りを中心に行い初めて署名に参加した青年を含め十数名が、暑い中必死に訴えました。協力いただいた署名は985筆にも達しました。署名はネット署名や郵送でも届けられており2005/9/5現在 71,632筆 (うち提出済50,911筆)です

2005年9月18・19日

 「全国連絡協議会」が大阪で合同の署名活動を行いました。高石さんご夫妻も駆けつけ、暑い中奮闘されました。なお、署名は、2日間で3,865筆集められました。

2006年4月6日
法務大臣に面会、追加の署名提出

 江別の高石さん、大分の佐藤さん、東京の秦野さんなど「飲酒ひき逃げ事犯に厳罰を求める遺族・関係者全国連絡協議会」のメンバー8人は、4月6日、法務省に杉浦正健法務大臣を訪ね、約3万7千名分の署名を追加提出。「逃げ得」を許さない法改正を強く要請しました。(4/7道新報道)
 杉浦法相は「国会でとりあげる方法を考えたい」旨述べたとのことです。

2006年8月26・27日
「全国連絡協議会」が札幌三越前で合同の署名活動を行いました。

懸命に訴える高石さんご家族(写真提供 千葉の井上郁美さん)

 遠くは大分の佐藤さん、神奈川の祝部さん、東京の岩嵜さん、千葉の井上ご夫妻が駆けつけてくれました。札幌近郊からも拓那君の友人の方や遺族の方が参加。2日間の奮闘で1日目18名で1,232筆2日目 25名で2,128筆、計3,460筆の署名が集められました。

井上さん(写真提供 千葉の井上郁美さん)

 

2006年9月30日、10月1日

 「全国連絡協議会」は、3児死亡飲酒運転事件の起きた福岡市で署名活動を行いました。

 北海道から高石洋子さんがはるばる参加し、報道(10/1北海道新聞)にもあるように大奮闘。2日間の活動で11,770筆もの署名協力を得ました。
(1日目 5,146筆、2日目 6,624筆)

 なお、連絡協議会メンバーである千葉の井上保孝・郁美さんご夫妻、高石さん、そして大分の佐藤悦子さんの4名は、署名活動の翌日(10月2日)、福岡市役所を訪ね、山崎広太郎市長はじめ、助役、収入役、ほか局長クラス計50人と懇談。

 福岡市に今後推進していただきたい飲酒運転撲滅への具体策について、意見交換を行ったとのことです。

2006年11月7日

 「全国連絡協議会」は法務省刑事局と意見交換。
 高石さんも上京し飲酒ひき逃げ事犯に厳罰をと訴えました

2006年12月15日

 「全国連絡協議会」は自民党の「飲酒運転根絶プロジェクトチーム」のヒアリングに出席
 高石さんも急遽駆けつけ訴えました

2006年12月28日

 飲酒運転厳罰化へ警察庁が道交法改正試案を発表

2007年1月27日
同乗者にも救護義務 1/26、札幌高裁が初の認定

お礼
 今月26日、民事裁判終結でした。
 遠くから、そしてお忙しい中来てくださった方、ゆっくり話が出来なくて申し訳ございませんでした。
 これまで、私達を励まし応援して下さった皆様、とても心強かったです。感謝しております。皆様、本当に有難うございました。
 ひき逃げの同乗者に対して、責任を認めてくれた判決になり、これからの裁判に良い影響をもたらす事に繋がる事を期待します。
 今裁判と戦っている皆様、どうかお体ご自愛下さいます様に・・・・・。
2007/1/30 高石 弘・洋子

2007年4月5日
法務大臣に面会、追加の署名(11万)提出 署名総数は30万人を超えました。

 江別の高石さん、大分の佐藤さん、千葉の井上さんなど「飲酒ひき逃げ事犯に厳罰を求める遺族・関係者全国連絡協議会」のメンバー12人は、4月5日、法務省に長勢法務大臣を訪ね、約11万7千人分の署名を追加提出。署名総数はついに30万人を超え、302,982筆となりました。

 長勢法相は「法務省として皆さんの要望も含めて専門家の意見を聴きながら法制審議会で検討し、「自動車運転過失致死傷罪」を提案させていただいた。同罪の懲役7年という法定刑にはまだご不満があるかもしれないが、これが法務省としての回答かと言われればそうである。」という旨述べたとのことです。

2007年4月12日

2007/04/13 「北海道新聞」
【画像をクリックで拡大】

 高石さんご夫妻は、4月12日、参議院内閣委員会で「道路交通法の一部を改正する法律案」についての参考人として出席。「ひき逃げを厳罰に」と訴えました。

2007年6月14日
ついに、飲酒、ひき逃げのさらなる厳罰化なる!

 ついに、飲酒、ひき逃げのさらなる厳罰化がなされ、道交法と合わせ、最高刑は懲役15年となりました。さらに「逃げ得」を許さない法整備を求めます。
 刑法改正(6月12日施行)
 道路交通法改正(9月施行)

2007年8月
「いのちのパネル」で訴え

(※主催:「いのちのパネル」実行委員会/協力:北海道交通事故被害者の会、北海道共同募金会、(財)北海道交通安全協会)

☆一番星☆

高石 拓那  1986年 8月30日生まれ  当時16歳

 平成15年2月12日、早朝、アルバイトの新聞配達へ向かう途中、飲酒運転のRV車にひき逃げされ亡くなりました。即死状態で、倒れている拓那の体には雪が降り積もっていました。

 明るくて、優しくて、いたずらが好きで、でも、すごく照れ屋で、頑張り屋さん。どんどん背が伸びて「180cm超えた~」って言ってたね。顔も大人っぽくなってきていた。
 中学からバレーボールが好きになったね。大好きな友達と練習するのが、楽しかったんだね。高校でもバレー頑張っていたね。拓那の「諦めない精神」今でも男子バレー部に受け継がれているよ。相変わらず部員少ないみたいだけどね。
 拓那の友達が教えてくれたよ。悩みを相談した時、拓那の言葉で元気づけられたって。「1%の可能性しかなくても、僕は99%努力する。僕は諦めない。だから諦めちゃいけない」って、そう言ったんだってね。この話を聞いた拓那の先輩が歌を作ってくれたよ。

…♪あなた(拓那)がこの世に残した言葉、私の胸の中で強く生きていく力に変わったよ~…一番星…♪ 
(「ウォームス」・アルバム「一番星」より)

 お母さんも、この歌を口ずさんで頑張っているよ! 拓那はずうっと皆の「一番星」だよ!

 拓那の事故が教えてくれた事は、とても重大な事だった。お酒を飲んで人を撥ねてその場から逃げるとアルコールの検知から逃れるだけじゃなく、証拠さえ無くすことができる。その場で助けた人より罪が軽くなる「逃げ得」がまかり通っているの。
 お父さんと、お母さんは「逃げ得」の無い法律を作ってもらう為に今も訴え続けているよ。拓那を守ってあげられなかった事が一生の後悔だから、拓那に謝りながら頑張っている。そして、私達の願いは一つ、「交通事故死ゼロ!」だよねっ拓那!

2007年8月12日  拓那の母

2008年4月24日
鳩山法務大臣に面会、署名(9万7千筆)提出(5回目)
署名総数は40万人を超えました。

北海道新聞4月25日の報道記事【画像をクリックで拡大】

江別の高石さん、大分の佐藤さん、千葉の井上さんなど「飲酒ひき逃げ事犯に厳罰を求める遺族・関係者全国連絡協議会」のメンバー12人は、4月25日、法務省に鳩山法務大臣を訪ね、97,084人分の署名を追加提出しました。
鳩山法相は「厳罰化の方向で考えていかなくてはならない」と答えたとのことです。(道新記事参照)
署名総数は40万人を超え、400,066筆となりました。

2008年8月23・24日

「飲酒ひき逃げ事犯に厳罰を求める遺族・関係者全国連絡協議会」は8月23・24日の両日札幌三越前で署名活動を行い
1日目 3,428筆
2日目 3,563筆
計 6,991筆
の協力を得ることができました。(2年前の倍です)

2008年12月17日
森英介法務大臣に面会、署名4万人分提出(6回目)
署名総数は44万人に達しました。

2008年12月18日 北海道新聞

ひき逃げに厳罰を 法相に4万人の署名

 飲酒死亡ひき逃げ事件の犠牲者の遺族らが17日、法務省に森英介法相を訪ね、厳罰化を求める4万1837人分の署名を提出した。

 同省を訪れたのは、高校生だった次男=当時(16)=を亡くした江別市の高石洋子さん(46)が共同代表を務める「飲酒・ひき逃げ事犯に厳罰を求める遺族・関係者全国連絡協議会」のメンバーら19人。署名提出は6回目で、累計で44万人分余りとなった。

 森法相に署名を提出した後、佐藤悦子共同代表は、現場から逃走した加害者が結果的に危険運転致死傷罪を逸れている現状について「逃げ得を許してはならない。早急な法改正を」と、訴えた。

 法相は「悲痛な体験をされたみなさんの切実な要請。重く受け止め対応する」と答えた。

2009年5月17日
5/16・17、鹿児島で署名活動、9203筆を集め、署名総数は45万人を超えました。

2009/05/19 北海道新聞

飲酒ひき逃げで息子失った江別・高石さん夫婦
「逃げ得」署名で変えたい
厳罰化 法改正へ45万筆

 ひき逃げで次男を失った江別市の高石弘さん(47)、洋子さん(47)夫婦が二〇〇三年から取り組んできた飲酒・ひき逃げに厳罰化を求める署名が十七日までに、四十五万筆を超えた。十六、十七の両日には、十五日に福岡高裁で判決が言い渡されたばかりの福岡市三幼児死亡事故の両親とともに、鹿児島市内で署名活動を行い、九千二百三筆を集めた。高石さん夫婦は、遺族らでつくる「飲酒・ひき逃げ事犯に厳罰を求める遺族・関係者全国連絡協議会」の共同代表。福岡の三児の両親大上哲央さん(36)、かおりさん(32)夫婦も裁判の過程で協議会に入り、一緒に活動してきた。

 洋子さんは十五日の高裁判決を傍聴。危険運転致死傷罪の成立を認め、懲役二十年を被告に言い渡した後、大上さん夫婦と「裁判所が一般の国民も遺族も納得できる判断を示してくれた」「後は飲酒ひき逃げに関する法律の改正を」と語り合った。鹿児島での署名活動では街頭で「頑張ってね」という激励を数多く受けたという。

 危険運転致死傷罪の罰則は最高で懲役二十年だが、ひき逃げの方が最高刑が軽く、飲酒の事実を隠すために現場から運転手が逃げるケースが相次いでいる。福岡の事故でも飲酒していた被告は逃げ、水を飲んでから現場に戻ったとされる。

 高石さんの次男、拓那さん=当時(16)=は〇三年、新聞配達のアルバイトに向かう途中、ひき逃げされ死亡した。半日後に逮捕された運転手は飲酒を認めたが、酒酔い運転は立証できず、危険運転罪は適用されなかった。

 高石さん夫婦と拓那さんの同級生たちは法改正を求める署名を展開。江別で始まった活動は〇五年、同協議会に発展して全国に広がった。これまでに四十万筆超の署名を法務相に提出し、ひき逃げの罰則強化を柱とする道交法改正につなげた。

 ただ、改正後も飲酒ひき逃げの最高刑は十五年。協議会は来春までにさらに署名を募り法務相に届ける方針だ。高石さん夫婦は「事故を起こして被害者を見捨てた人が『逃げ得』となる法律は絶対に変える。拓那のために、応援してくれるみんなのために運動を続ける」と力を込める。

【写真説明】「逃げ得となる法律は絶対に変える」と話す高石弘さん、洋子さん夫婦

2010年6月22日
千葉法務大臣に面会、署名8万人分提出(7回目)
署名総数は52万人に達しました。

 飲酒運転で人身事故を起こした加害者が事故後に逃げて、酔いが冷めた後に逮捕された場合、加害者には「危険運転致死傷罪」が適用されず、より刑の軽い「自動車運転過失致死罪」などしか適用されません。
 こうした“逃げ得”に対する厳罰化を求めて22日、飲酒運転事故などの被害者遺族らが千葉法務大臣に8万件あまりの署名を手渡し、「議論するための体制作り」などを申し入れました。これに対し、千葉大臣は「重く受け止める。党の中でも検討を続けたい」と話したということです。
【22日19:06 TBSのニュース報道から】

2012年1月10日「朝日新聞」北海道内版
飲酒ひき逃げ厳罰を 9年前に次男犠牲、高石さん活動

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2013年11月21日「北海道新聞」
「危険運転 ブレーキを」厳罰化新法 万感の遺族

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-相互支援の記録(2000〜2013)
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