北海道精神保健協会機関誌「心の健康」130号2013年2月所収原稿
「被害者理解のために~長女の交通死事件と被害者団体の活動~」
北海道交通事故被害者の会 代表 前田敏章
(犯罪被害者団体ネットワーク・「ハートバンド」代表)
はじめに
執筆の機会を与えていただいたことに厚く感謝致します。特集テーマが「犯罪被害者支援体制構築」ということですが、私は交通犯罪被害遺族ですので、その立場から、被害者等の置かれている現状や尊厳と権利回復のための課題について理解を深めていただくために、最初に、私事ですが具体例として娘の被害事件について述べさせていただき、次に、私が関わっている被害者団体である、北海道交通事故被害者の会、および犯罪被害者団体ネットワーク(愛称「ハートバンド」)の活動を報告するという形で記したいと思います。
1 長女の交通死事件と遺された家族
夢であれば早く醒めてほしいと何度思った事でしょう。朝、駅まで車で送り「行ってきます」「行ってらっしゃい」と笑顔で別れた娘と、言葉も交わすことなく病院での変わり果てた姿との対面になろうとは。
1995年10月25日午後5時50分頃、当時高校2年生の長女千尋(ちひろ)は通学帰りの歩行中、後ろから来たワゴン車に撥ねられ即死、わずか17歳でその全てを奪われました。現場の千歳の市道は、歩道のない直線道路。事故原因は、カーラジオ操作に気をとられ脇見状態となった運転者(35歳、看護師で2児の母親)が、赤いかさをさした娘を、背後からブレーキも踏まずに5メートル余りも撥ね飛ばすという重大過失の「前方不注視」でした。
遺された私たち家族の生活は一変しました。家族4人での楽しかった思い出の全ては、その日を境に娘の無念を思う悔しい過去に変わってしまいました。何冊ものアルバム、成長を記録した8ミリやビデオ映像など、我が家では押し入れに入ったままで見られません。見れば、辛く、悔しく、無念の思いが募るからです。年月を重ねても、娘のことを思わぬ日はなく、張り裂けそうな悲しみに耐えて生きています。
一番辛いのは誕生日です。家族にとって幸せ一杯の長女の誕生日が17回ありましたが、その後の17回は主人公のいない辛く苦しい誕生日です。今もケーキを買いに行きますが、お店で「名前はどう入れますか」と聞かれ泣いてしまいます。今年は生きていれば34歳。ケーキに大きなローソク3本と小さなローソク4本を立てました。遺された親は、死ぬまで子どもの歳を数えて生きるのだということを実感しています。
事件後の社会の対応も過酷なものでした。絶望の淵にある遺族に、「事故だから仕方ない」「運が悪かった」というような心ない言動が二次被害として押し寄せます。命の尊厳を踏みにじる、司法と社会制度の不備がその根底にあります。前方不注視による業務上過失致死罪(現在は自動車運転過失致死罪)は大変軽く、加害者に科せられた刑も禁錮1年、執行猶予3年という不当なものでした。当時の裁判官も、一方的に命を奪った加害者の行為について、「ほんの数秒間のちょっとした不注意」で「往々にして起こる事故」だからと、その軽い刑の「理由」を述べました。私は当時、バイク4台を盗んだ窃盗罪よりも娘の命を奪った加害者の罪の方が軽いことを知って愕然とし、娘の遺影に向かい「こんな不条理、お父さんは絶対許さないから」と約束したことを覚えています。
娘は道路上で、何の過失もないのに、何のいわれもない人に、一方的に命まで奪われました。まさに「通り魔殺人」的被害です。交通死傷被害を「事故」(accident=偶発事故)と括ってしまうことは間違いであると思います。司法も社会全体も「未必の故意」による「交通犯罪」と正しく使うべきです。
辛く苦しい毎日ですが、しかし遺された家族がいくら辛くても、突然命まで奪われた当の娘の無念さとは比べようがないと思い直すのです。私は今も、仏前で手を合わせる度に、娘から「なぜ私がこんな目に遭わなくてはならなかったの?」「私が突然命まで奪われた犠牲は、今の社会で報われているの?(同じように歩行者が車に轢かれるようなことが続くのであれば、私の死はいったい何だったのか)」と、問われているような気がするのです。早く娘の所に行きたいという気持ちになったことが何度もありますが、この問いかけに親としてしっかり答えなくては、娘も迎えてはくれないと思い止まります。
犯罪や事故で肉親を亡くした遺族は「犠牲を繰り返さないで」と口を揃えて言いますが、私たちの唯一の願いは、奪われた命を返して欲しいということであり、それ以外には無いのです。それが叶わぬならば、せめてその犠牲を無にして欲しくない、そう願うのです。
私は模索し、個人のホームページ「交通死、遺された親の叫び」を、事件から5年後に開設。広く発信・交流しながら、「命の尊厳」「交通死傷被害ゼロ」「被害者の視点と社会正義」「脱スピード社会とスローライフ」の4つをライフワークのキィワードとして、心の中の娘と共に生きています。
2 北海道交通事故被害者の会の活動について
1999年9月に、被害者団体である「北海道交通事故被害者の会」を発足させることができました。私は設立の発起人代表であったのですが、発足の呼び掛けは、北海道警察本部交通部でした。後で知ったことですが、当時の本部長、島田尚武氏が「警察行政はもっと被害者等の声を聴かなくてはならない」「被害者等を孤立無援の状態に置いてはならない」との思いから英断を下されたと聞きます。以降、被害者の会は、財団法人北海道交通安全協会から事務所の提供と運営費助成を受けて活動していますが、被害者団体が、このような支援を受けながら自主的な活動を続けているということは全国でも例がないと聞いております。私たちは、その意味でも他県においても拡がるように典型的な活動にしたいと、困難な中ですが必死に続けてきております。
会が出来たことで、関係機関との連携も密になり、新たな被害当事者に仲間と共に手を差し伸べることが出来るようになりました。活動を続ける中で、支援と交流の活動は、社会参加でもあり、自身の回復の手助けともなるということも実感しています。
会の活動目的は、被害者同士の相互支援と交流、および交通犯罪をどう無くすかの二つです。現在、およそ115家族の交通犯罪被害者が集まっており、その7割が遺族、3割は自身や家族が怪我をされた被害者です。辛い中ですが、毎月1回の世話人会(例会)と年3回発行の会報を軸に、活動を続けて13年になります。
切実な願いを、26項目の「交通犯罪被害者の尊厳と権利、交通犯罪・事故撲滅のための要望事項」としてまとめ、内閣府、警察庁、法務省、国交省、に毎年提出し、対道要請も行っています。
2012年8月22日、命の重みに見合う刑法改正を求め、谷博之法務副大臣(当時)に要請書提出・面談を行ったもの。
犠牲を無にせず、交通死傷被害ゼロを求める活動として、体験講話の要請に応えており、会員が辛い中行ってきた講話回数は2000年以来614回を数え、受講者数は11万人を超えました。2011年からは道警の事業「命の大切さを学ぶ教室」(犯罪被害者等基本計画の中で「犯罪被害者等への配慮・協力への意識のかん養」の為と位置づけられた取り組み)との連携もあり、2012年は3人の会員で中学・高校、48校で命と被害者理解の教育を行っています。
また、会員の手記をパネルにして展示する「いのちのパネル展」を2003年以来続けており、ここ数年は、毎年20数カ所、延べ日数150日ほど、札幌市内を中心に各地で展示しています。
公開フォーラムも2001年以来毎年主催しています。被害者問題の他、ここ数年は11月第3日曜日の「世界道路交通犠牲者の日」に合わせて、「交通死傷ゼロへの提言」というテーマで開催しています。
2012年11月18日の北海道フォーラム
もう一つ、いわゆる自助グループとしての活動について付け加えたいのが、総会の折などに専門家の協力を得て実施する学習会の意義です。これまで行ったものでは、2001年、精神分析学が専門の久保義彦医師を講師にPTSDについての研修を行ったことが特に有意義でした。被害者等の回復のために、心身の健康に関する自己理解は不可欠であるからです。
以下、参考までに久保講演の要点を記します。
─私たちの記憶は大脳の知の部分と感情の部分が協同して働くためにフラッシュバックが起きる。記憶に感情を伴うから理性的な対応ができなくなることもある。言葉、感情、情緒、情動、身体、全部含めて「記憶した私」として理解しコミュニケーションする。それが壊れると、がまんする力・耐える力がなくなってしまう。それがPTSDの症状であり、そこからコミュニケーションギャップ、周りから理解されないということも起こる。
被害者が回復するにはどうすれば良いのか。まずは安全、安心感が必要であり、情緒の安定が保たれること。次に、表現することを通して、記憶を感情に振り回されない理性的な記憶に変えること。それが周りに対して良い方向に影響を与え、被害者理解を拡げ、社会も変えていく。─
このようにPTSDについて学び、自己理解を深めることができましたので、辛いこともありましたが、何とかこの10数年間活動を継続することが出来たと思っています。
3 犯罪被害者団体ネットワーク(ハートバンド)の軌跡と“いのち・きぼう・未来”
2012年12月1日、東京都中央区の晴海グランドホテルに、北は北海道から南は九州・沖縄、全国各地の犯罪被害者・遺族が続々到着しました。「犯罪被害者週間全国大会」および、翌2日にかけて行われる交流会に参加するためです。会場ロビーでは、再会と出会いを喜ぶ笑顔が今年も溢れていました。
主催は全国18の被害者団体が集う「犯罪被害者団体ネットワーク」(愛称「ハートバンド」)の仲間です。(北海道交通事故被害者の会からは、今大会に7家族11人が参加しました)
全国大会には、警察庁(内閣府は行事が重なり不参加)や全国被害者支援ネットワーク、犯罪被害救援基金など関係機関と支援の団体・個人、総勢165人(うち被害者・遺族は16団体125人)が会場を埋めました。
第一部「被害者からの声」は、殺人事件被害者の近藤さえ子さん(あすの会)、交通犯罪被害者の中江美則さん(京都亀岡の無免許事件の被害遺族)、眞野哲さん(名古屋での飲酒ひき逃げ無免許事件の被害遺族)がそれぞれ事件についての痛切な思いを語り、訴えました。第2部「車座トーク」(写真)では、同席いただいた、支援のパートナー(行政関係者、弁護士、学識経験者、メディア関係)とともに、被害の当事者が「全員参加」で、困ったことや願いなどを「存分に語る」をテーマに行いました。
率直に課題や思いを語り合う2012年の車座トーク
夕食交流会に続き、翌2日の分科会は、ここ数年定着した「弁護士に聞く」「カウンセラーを囲んで」「マスメディアと被害者」「リラックスルーム」に分かれて、語り、学び、交流を深めました。
心に深い傷を負った当事者どうしが、心底から信頼し合うためには、時間をかけた交流の積み重ねが必要でした。財政面など、全国から集まるための苦労は並大抵ではないのですが、今年も多くの新参加者を迎え、来年の再会を約して全国に散りました。
この全国大会の誕生の経緯、名称の変遷の中に、犯罪被害者の尊厳と権利回復の貴重な足跡が端的に示されていますので、振り返り紹介します。なお、私は第1回大会から参加し、2007年大会の実行委員長を務め、2010年以降は代表として関わっています。
私たちが第1回全国大会とカウントしているのは、2003年10月3日、「日本大学カザルスホール」を会場に280名が集い開催された「犯罪被害者支援の日制定記念・中央大会」です。全国被害者支援ネットワーク(山上 皓会長)の主催で、当時全国21の被害者団体・自助グループに案内され、うち14団体が共同参画団体として準備段階から参加しました。北海道交通事故被害者の会に「被害者の声」の発言機会も与えられましたが、孤立無援を感じていた犯罪被害者にようやく暖かい希望の光が差し込むような感慨を持ったことを覚えています。この全国大会開催が、支援団体との連携強化とともに、犯罪被害者団体どうしが全国的につながる契機となったことは間違いありません。そして、被害者の権利回復が大きな世論となる一助にもなりました。
2004年10月3日の第2回全国大会では、「犯罪被害者の声を聞き、被害者の権利の尊重を求める決議」が採択され、「支援機関に対する財政的支援」「被害回復と生活支援」「二次被害と再被害の防止」という大項目に加え、「犯罪被害者の司法参加の推進と、被害者への情報提供の充実」「犯罪被害者基本法の制定」という焦眉の課題も掲げられました。
そして、この年の12月1日、ついに犯罪被害者等基本法の制定をみます。「あすの会」(全国犯罪被害者の会)が全国を巡り、各地の被害者組織の協力を得て集めた55万人を超える署名が大きな力になりました。「犯罪被害者等の視点に立った施策を講じ、その権利利益の保護が図られる社会の実現」(前文)「すべて犯罪被害者等は、個人の尊厳にふさわしい処遇を保障される権利を有する」(第3条、基本理念)と、私たちが求め続けてきた被害者の視点と尊厳と権利が明記された、正に歴史的な法の制定でした。
2005年の第3回全国大会は、この基本法の制定と施行(2005年4月1日)を受け、名称を「犯罪被害者等基本法制定記念全国大会」とし、主催も被害者支援ネットワークと被害者団体との共催となりました。被害者が「支援されるべき可哀相な人」であってはならない、被害者問題の主体は被害者自身であるという議論を経て、権利主体としての第一歩を踏み出したのです。大会前日には、基本法制定を記念し、被害者の尊厳を訴えるパレードも行いました。
被った犯罪の種別も態様も異なる全国の被害者団体は、この年から「犯罪被害者団体ネットワーク」(愛称、「ハートバンド」)という名の連合体となりました。ハートバンドは、それぞれの活動を尊重しあい、必要な連携と交流、情報交換とを無理なく行う、ゆるやかなネットワークで、その主な活動は全国大会の開催であるという確認がなされ、シンボルマークは、被害者の心とこれを支援する国民の心、二つのハートが重なり合うものに決められました。
そして2006年11月26日の第4回大会。日程を、「犯罪被害者等基本計画」の中で定められた犯罪被害者週間(11月25日~12月1日)に合わせ、名称も「犯罪被害者週間全国大会2006」としました。
さらに2007年11月25日の第5回大会からは、ハートバンドの単独主催となり、基本法の理念を社会のすみずみにまで広げ実質化するために、権利主体であることを自覚した活動をめざしています。2008年11月30日の第6回大会、および2009年11月28日の第7回大会では、2008年12月から実施に移された刑事裁判における被害者参加制度について議論されるなど、毎回、被害者等の権利回復にとっての焦眉の課題が討議され、10回目を迎えた2012年の大会へと引き継がれています。
2005年以来、大会のサブスローガンとして掲げられている「いのち・きぼう・未来」は、被害者の視点から、生命への共感を拡げ、そして社会全体が希望ある未来へ向かって欲しい、という切なる願いが込められています
ハートバンド誕生から10年。基本法制定と基本計画策定、刑事司法における被害者参加制度、公訴時効制度見直しなどに象徴されるように、被害者の尊厳と権利回復にとって正にドラスチックな前進がみられた時代であったと思います。法律制度の実質化という課題も山積していますが、これまでの前進が、被害者等の連携と協働、血の滲むようなとりくみに加え、関係機関や団体の深い理解と協力によって得られたという確信を希望とし、さらに前へ進まなければならないと思います。
なお、現在のハートバンドの構成は次の18団体です。
- ★青森被害者語りの会
- ★佐賀犯罪被害・交通事故被害者遺族の会「一歩の会」
- ★生命のメッセージ展
- ★飲酒ひき逃げ事犯に厳罰を求める遺族・関係者全国連絡協議会
- ★緒あしす(愛知)
- ★風通信舎(兵庫)
- ★NPO法人 KENTO(奈良)
- ★NPO法人 交通事故後遺障害者家族の会
- ★交通事故被害者家族ネットワーク
- ★交通事故調書の開示を求める会
- ★ジュピター(神奈川)
- ★TAV交通死被害者の会
- ★はがくれ(佐賀)
- ★ピア・神奈川
- ★被害者支援を創る会
- ★ひだまりの会okinawa
- ★北海道交通事故被害者の会
- ★鹿児島犯罪被害者自助グループ「南の風」
4 社会正義実現という同じ方向を向いて
まとめにかえて、犯罪被害者支援についての被害者からの思いを述べます。
一つは、支援に関わる関係者が、「支援する側」、「支援される側」という対面の関係であってはならないということです。
被害者の権利については、欧米諸国に比し30年以上も遅れていると言われる我が国において、長く無権利状態に置かれ、孤立し偏見にさらされる被害者は、好奇の対象として扱われていました。「被害に遭ったのは、何か(被害者側に)原因があったからだろう」などと、被害者を理由無く責める風潮も根深く残り、その裏返しに、被害者等を哀れみや同情の対象として扱うということも少なくありません。
被害者等の尊厳と権利は、「回復」されるべき当然の権利であるという視点が大切で、「支援する側」「支援される側」という区分は、時として、被害者・遺族もまた、自身がその当然の権利主体であるとの自覚を妨げることにもなります。権利主体としての被害者等は、被害者の視点が社会正義につながるという確信のもとに、語る勇気をふり絞り、広く社会に発信し、被害者理解を深める役割があります。
あるべき姿は、共に社会正義実現という同じ方向を向いた関係ということです。その際に「被害者の視点」ということが特に大切になると思います。
そのためにも、二つ目ですが、犯罪被害者支援に関わる方は、被害者理解の努力を行い続けてほしいと願います。犯罪被害の種別や個々の事情の違いからも、被害者の苦しみ困難は文字通り千差万別です。被害の苦しみを共感的に受け止めることは、支援者自身が悲嘆を共有することですから、大変な苦労を伴うと思います。しかし、被害者等の苦しみと悲嘆は、年数の経過とともに深まり、求める支援も形を変えて現れます。一時的な関わりで終わることなく、寄り添い支援する活動を続けて下さい。支援体制構築のポイントは、このような負担を伴い、長期にもわたる大変な仕事を担う支援(者)の輪を幾重にも厚くする人的な体制構築だと思います。私たち被害者は、支援を求めるとき、携わっていただく方がより多いほど、その中で、この人であれば心を開いて相談できるという方との出会いも可能となるのです。どうぞよろしくお願いします。
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論考・発言
【11】2013/2 被害者理解のために~長女の交通死事件と被害者団体の活動~
2013年2月28日
北海道精神保健協会機関誌「心の健康」130号2013年2月所収原稿
「被害者理解のために~長女の交通死事件と被害者団体の活動~」
北海道交通事故被害者の会 代表 前田敏章
(犯罪被害者団体ネットワーク・「ハートバンド」代表)
はじめに
執筆の機会を与えていただいたことに厚く感謝致します。特集テーマが「犯罪被害者支援体制構築」ということですが、私は交通犯罪被害遺族ですので、その立場から、被害者等の置かれている現状や尊厳と権利回復のための課題について理解を深めていただくために、最初に、私事ですが具体例として娘の被害事件について述べさせていただき、次に、私が関わっている被害者団体である、北海道交通事故被害者の会、および犯罪被害者団体ネットワーク(愛称「ハートバンド」)の活動を報告するという形で記したいと思います。
1 長女の交通死事件と遺された家族
夢であれば早く醒めてほしいと何度思った事でしょう。朝、駅まで車で送り「行ってきます」「行ってらっしゃい」と笑顔で別れた娘と、言葉も交わすことなく病院での変わり果てた姿との対面になろうとは。
1995年10月25日午後5時50分頃、当時高校2年生の長女千尋(ちひろ)は通学帰りの歩行中、後ろから来たワゴン車に撥ねられ即死、わずか17歳でその全てを奪われました。現場の千歳の市道は、歩道のない直線道路。事故原因は、カーラジオ操作に気をとられ脇見状態となった運転者(35歳、看護師で2児の母親)が、赤いかさをさした娘を、背後からブレーキも踏まずに5メートル余りも撥ね飛ばすという重大過失の「前方不注視」でした。
遺された私たち家族の生活は一変しました。家族4人での楽しかった思い出の全ては、その日を境に娘の無念を思う悔しい過去に変わってしまいました。何冊ものアルバム、成長を記録した8ミリやビデオ映像など、我が家では押し入れに入ったままで見られません。見れば、辛く、悔しく、無念の思いが募るからです。年月を重ねても、娘のことを思わぬ日はなく、張り裂けそうな悲しみに耐えて生きています。
一番辛いのは誕生日です。家族にとって幸せ一杯の長女の誕生日が17回ありましたが、その後の17回は主人公のいない辛く苦しい誕生日です。今もケーキを買いに行きますが、お店で「名前はどう入れますか」と聞かれ泣いてしまいます。今年は生きていれば34歳。ケーキに大きなローソク3本と小さなローソク4本を立てました。遺された親は、死ぬまで子どもの歳を数えて生きるのだということを実感しています。
事件後の社会の対応も過酷なものでした。絶望の淵にある遺族に、「事故だから仕方ない」「運が悪かった」というような心ない言動が二次被害として押し寄せます。命の尊厳を踏みにじる、司法と社会制度の不備がその根底にあります。前方不注視による業務上過失致死罪(現在は自動車運転過失致死罪)は大変軽く、加害者に科せられた刑も禁錮1年、執行猶予3年という不当なものでした。当時の裁判官も、一方的に命を奪った加害者の行為について、「ほんの数秒間のちょっとした不注意」で「往々にして起こる事故」だからと、その軽い刑の「理由」を述べました。私は当時、バイク4台を盗んだ窃盗罪よりも娘の命を奪った加害者の罪の方が軽いことを知って愕然とし、娘の遺影に向かい「こんな不条理、お父さんは絶対許さないから」と約束したことを覚えています。
娘は道路上で、何の過失もないのに、何のいわれもない人に、一方的に命まで奪われました。まさに「通り魔殺人」的被害です。交通死傷被害を「事故」(accident=偶発事故)と括ってしまうことは間違いであると思います。司法も社会全体も「未必の故意」による「交通犯罪」と正しく使うべきです。
辛く苦しい毎日ですが、しかし遺された家族がいくら辛くても、突然命まで奪われた当の娘の無念さとは比べようがないと思い直すのです。私は今も、仏前で手を合わせる度に、娘から「なぜ私がこんな目に遭わなくてはならなかったの?」「私が突然命まで奪われた犠牲は、今の社会で報われているの?(同じように歩行者が車に轢かれるようなことが続くのであれば、私の死はいったい何だったのか)」と、問われているような気がするのです。早く娘の所に行きたいという気持ちになったことが何度もありますが、この問いかけに親としてしっかり答えなくては、娘も迎えてはくれないと思い止まります。
犯罪や事故で肉親を亡くした遺族は「犠牲を繰り返さないで」と口を揃えて言いますが、私たちの唯一の願いは、奪われた命を返して欲しいということであり、それ以外には無いのです。それが叶わぬならば、せめてその犠牲を無にして欲しくない、そう願うのです。
私は模索し、個人のホームページ「交通死、遺された親の叫び」を、事件から5年後に開設。広く発信・交流しながら、「命の尊厳」「交通死傷被害ゼロ」「被害者の視点と社会正義」「脱スピード社会とスローライフ」の4つをライフワークのキィワードとして、心の中の娘と共に生きています。
2 北海道交通事故被害者の会の活動について
1999年9月に、被害者団体である「北海道交通事故被害者の会」を発足させることができました。私は設立の発起人代表であったのですが、発足の呼び掛けは、北海道警察本部交通部でした。後で知ったことですが、当時の本部長、島田尚武氏が「警察行政はもっと被害者等の声を聴かなくてはならない」「被害者等を孤立無援の状態に置いてはならない」との思いから英断を下されたと聞きます。以降、被害者の会は、財団法人北海道交通安全協会から事務所の提供と運営費助成を受けて活動していますが、被害者団体が、このような支援を受けながら自主的な活動を続けているということは全国でも例がないと聞いております。私たちは、その意味でも他県においても拡がるように典型的な活動にしたいと、困難な中ですが必死に続けてきております。
会が出来たことで、関係機関との連携も密になり、新たな被害当事者に仲間と共に手を差し伸べることが出来るようになりました。活動を続ける中で、支援と交流の活動は、社会参加でもあり、自身の回復の手助けともなるということも実感しています。
会の活動目的は、被害者同士の相互支援と交流、および交通犯罪をどう無くすかの二つです。現在、およそ115家族の交通犯罪被害者が集まっており、その7割が遺族、3割は自身や家族が怪我をされた被害者です。辛い中ですが、毎月1回の世話人会(例会)と年3回発行の会報を軸に、活動を続けて13年になります。
切実な願いを、26項目の「交通犯罪被害者の尊厳と権利、交通犯罪・事故撲滅のための要望事項」としてまとめ、内閣府、警察庁、法務省、国交省、に毎年提出し、対道要請も行っています。
2012年8月22日、命の重みに見合う刑法改正を求め、谷博之法務副大臣(当時)に要請書提出・面談を行ったもの。
犠牲を無にせず、交通死傷被害ゼロを求める活動として、体験講話の要請に応えており、会員が辛い中行ってきた講話回数は2000年以来614回を数え、受講者数は11万人を超えました。2011年からは道警の事業「命の大切さを学ぶ教室」(犯罪被害者等基本計画の中で「犯罪被害者等への配慮・協力への意識のかん養」の為と位置づけられた取り組み)との連携もあり、2012年は3人の会員で中学・高校、48校で命と被害者理解の教育を行っています。
また、会員の手記をパネルにして展示する「いのちのパネル展」を2003年以来続けており、ここ数年は、毎年20数カ所、延べ日数150日ほど、札幌市内を中心に各地で展示しています。
公開フォーラムも2001年以来毎年主催しています。被害者問題の他、ここ数年は11月第3日曜日の「世界道路交通犠牲者の日」に合わせて、「交通死傷ゼロへの提言」というテーマで開催しています。
2012年11月18日の北海道フォーラム
もう一つ、いわゆる自助グループとしての活動について付け加えたいのが、総会の折などに専門家の協力を得て実施する学習会の意義です。これまで行ったものでは、2001年、精神分析学が専門の久保義彦医師を講師にPTSDについての研修を行ったことが特に有意義でした。被害者等の回復のために、心身の健康に関する自己理解は不可欠であるからです。
以下、参考までに久保講演の要点を記します。
─私たちの記憶は大脳の知の部分と感情の部分が協同して働くためにフラッシュバックが起きる。記憶に感情を伴うから理性的な対応ができなくなることもある。言葉、感情、情緒、情動、身体、全部含めて「記憶した私」として理解しコミュニケーションする。それが壊れると、がまんする力・耐える力がなくなってしまう。それがPTSDの症状であり、そこからコミュニケーションギャップ、周りから理解されないということも起こる。
被害者が回復するにはどうすれば良いのか。まずは安全、安心感が必要であり、情緒の安定が保たれること。次に、表現することを通して、記憶を感情に振り回されない理性的な記憶に変えること。それが周りに対して良い方向に影響を与え、被害者理解を拡げ、社会も変えていく。─
このようにPTSDについて学び、自己理解を深めることができましたので、辛いこともありましたが、何とかこの10数年間活動を継続することが出来たと思っています。
3 犯罪被害者団体ネットワーク(ハートバンド)の軌跡と“いのち・きぼう・未来”
2012年12月1日、東京都中央区の晴海グランドホテルに、北は北海道から南は九州・沖縄、全国各地の犯罪被害者・遺族が続々到着しました。「犯罪被害者週間全国大会」および、翌2日にかけて行われる交流会に参加するためです。会場ロビーでは、再会と出会いを喜ぶ笑顔が今年も溢れていました。
主催は全国18の被害者団体が集う「犯罪被害者団体ネットワーク」(愛称「ハートバンド」)の仲間です。(北海道交通事故被害者の会からは、今大会に7家族11人が参加しました)
全国大会には、警察庁(内閣府は行事が重なり不参加)や全国被害者支援ネットワーク、犯罪被害救援基金など関係機関と支援の団体・個人、総勢165人(うち被害者・遺族は16団体125人)が会場を埋めました。
第一部「被害者からの声」は、殺人事件被害者の近藤さえ子さん(あすの会)、交通犯罪被害者の中江美則さん(京都亀岡の無免許事件の被害遺族)、眞野哲さん(名古屋での飲酒ひき逃げ無免許事件の被害遺族)がそれぞれ事件についての痛切な思いを語り、訴えました。第2部「車座トーク」(写真)では、同席いただいた、支援のパートナー(行政関係者、弁護士、学識経験者、メディア関係)とともに、被害の当事者が「全員参加」で、困ったことや願いなどを「存分に語る」をテーマに行いました。
率直に課題や思いを語り合う2012年の車座トーク
夕食交流会に続き、翌2日の分科会は、ここ数年定着した「弁護士に聞く」「カウンセラーを囲んで」「マスメディアと被害者」「リラックスルーム」に分かれて、語り、学び、交流を深めました。
心に深い傷を負った当事者どうしが、心底から信頼し合うためには、時間をかけた交流の積み重ねが必要でした。財政面など、全国から集まるための苦労は並大抵ではないのですが、今年も多くの新参加者を迎え、来年の再会を約して全国に散りました。
この全国大会の誕生の経緯、名称の変遷の中に、犯罪被害者の尊厳と権利回復の貴重な足跡が端的に示されていますので、振り返り紹介します。なお、私は第1回大会から参加し、2007年大会の実行委員長を務め、2010年以降は代表として関わっています。
私たちが第1回全国大会とカウントしているのは、2003年10月3日、「日本大学カザルスホール」を会場に280名が集い開催された「犯罪被害者支援の日制定記念・中央大会」です。全国被害者支援ネットワーク(山上 皓会長)の主催で、当時全国21の被害者団体・自助グループに案内され、うち14団体が共同参画団体として準備段階から参加しました。北海道交通事故被害者の会に「被害者の声」の発言機会も与えられましたが、孤立無援を感じていた犯罪被害者にようやく暖かい希望の光が差し込むような感慨を持ったことを覚えています。この全国大会開催が、支援団体との連携強化とともに、犯罪被害者団体どうしが全国的につながる契機となったことは間違いありません。そして、被害者の権利回復が大きな世論となる一助にもなりました。
2004年10月3日の第2回全国大会では、「犯罪被害者の声を聞き、被害者の権利の尊重を求める決議」が採択され、「支援機関に対する財政的支援」「被害回復と生活支援」「二次被害と再被害の防止」という大項目に加え、「犯罪被害者の司法参加の推進と、被害者への情報提供の充実」「犯罪被害者基本法の制定」という焦眉の課題も掲げられました。
そして、この年の12月1日、ついに犯罪被害者等基本法の制定をみます。「あすの会」(全国犯罪被害者の会)が全国を巡り、各地の被害者組織の協力を得て集めた55万人を超える署名が大きな力になりました。「犯罪被害者等の視点に立った施策を講じ、その権利利益の保護が図られる社会の実現」(前文)「すべて犯罪被害者等は、個人の尊厳にふさわしい処遇を保障される権利を有する」(第3条、基本理念)と、私たちが求め続けてきた被害者の視点と尊厳と権利が明記された、正に歴史的な法の制定でした。
2005年の第3回全国大会は、この基本法の制定と施行(2005年4月1日)を受け、名称を「犯罪被害者等基本法制定記念全国大会」とし、主催も被害者支援ネットワークと被害者団体との共催となりました。被害者が「支援されるべき可哀相な人」であってはならない、被害者問題の主体は被害者自身であるという議論を経て、権利主体としての第一歩を踏み出したのです。大会前日には、基本法制定を記念し、被害者の尊厳を訴えるパレードも行いました。
被った犯罪の種別も態様も異なる全国の被害者団体は、この年から「犯罪被害者団体ネットワーク」(愛称、「ハートバンド」)という名の連合体となりました。ハートバンドは、それぞれの活動を尊重しあい、必要な連携と交流、情報交換とを無理なく行う、ゆるやかなネットワークで、その主な活動は全国大会の開催であるという確認がなされ、シンボルマークは、被害者の心とこれを支援する国民の心、二つのハートが重なり合うものに決められました。
そして2006年11月26日の第4回大会。日程を、「犯罪被害者等基本計画」の中で定められた犯罪被害者週間(11月25日~12月1日)に合わせ、名称も「犯罪被害者週間全国大会2006」としました。
さらに2007年11月25日の第5回大会からは、ハートバンドの単独主催となり、基本法の理念を社会のすみずみにまで広げ実質化するために、権利主体であることを自覚した活動をめざしています。2008年11月30日の第6回大会、および2009年11月28日の第7回大会では、2008年12月から実施に移された刑事裁判における被害者参加制度について議論されるなど、毎回、被害者等の権利回復にとっての焦眉の課題が討議され、10回目を迎えた2012年の大会へと引き継がれています。
2005年以来、大会のサブスローガンとして掲げられている「いのち・きぼう・未来」は、被害者の視点から、生命への共感を拡げ、そして社会全体が希望ある未来へ向かって欲しい、という切なる願いが込められています
ハートバンド誕生から10年。基本法制定と基本計画策定、刑事司法における被害者参加制度、公訴時効制度見直しなどに象徴されるように、被害者の尊厳と権利回復にとって正にドラスチックな前進がみられた時代であったと思います。法律制度の実質化という課題も山積していますが、これまでの前進が、被害者等の連携と協働、血の滲むようなとりくみに加え、関係機関や団体の深い理解と協力によって得られたという確信を希望とし、さらに前へ進まなければならないと思います。
なお、現在のハートバンドの構成は次の18団体です。
4 社会正義実現という同じ方向を向いて
まとめにかえて、犯罪被害者支援についての被害者からの思いを述べます。
一つは、支援に関わる関係者が、「支援する側」、「支援される側」という対面の関係であってはならないということです。
被害者の権利については、欧米諸国に比し30年以上も遅れていると言われる我が国において、長く無権利状態に置かれ、孤立し偏見にさらされる被害者は、好奇の対象として扱われていました。「被害に遭ったのは、何か(被害者側に)原因があったからだろう」などと、被害者を理由無く責める風潮も根深く残り、その裏返しに、被害者等を哀れみや同情の対象として扱うということも少なくありません。
被害者等の尊厳と権利は、「回復」されるべき当然の権利であるという視点が大切で、「支援する側」「支援される側」という区分は、時として、被害者・遺族もまた、自身がその当然の権利主体であるとの自覚を妨げることにもなります。権利主体としての被害者等は、被害者の視点が社会正義につながるという確信のもとに、語る勇気をふり絞り、広く社会に発信し、被害者理解を深める役割があります。
あるべき姿は、共に社会正義実現という同じ方向を向いた関係ということです。その際に「被害者の視点」ということが特に大切になると思います。
そのためにも、二つ目ですが、犯罪被害者支援に関わる方は、被害者理解の努力を行い続けてほしいと願います。犯罪被害の種別や個々の事情の違いからも、被害者の苦しみ困難は文字通り千差万別です。被害の苦しみを共感的に受け止めることは、支援者自身が悲嘆を共有することですから、大変な苦労を伴うと思います。しかし、被害者等の苦しみと悲嘆は、年数の経過とともに深まり、求める支援も形を変えて現れます。一時的な関わりで終わることなく、寄り添い支援する活動を続けて下さい。支援体制構築のポイントは、このような負担を伴い、長期にもわたる大変な仕事を担う支援(者)の輪を幾重にも厚くする人的な体制構築だと思います。私たち被害者は、支援を求めるとき、携わっていただく方がより多いほど、その中で、この人であれば心を開いて相談できるという方との出会いも可能となるのです。どうぞよろしくお願いします。
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