論考・発言

【3】2005/11 全国大会での訴え「(交通)被害者のおかれている現状と願い」

投稿日:2005年11月27日 更新日:

講演要旨
犯罪被害者等基本法制定記念全国大会~いのち・きぼう・みらい~
2005年11月27日 東京都千代田区 丸ビルホール

北海道交通事故被害者の会 前田敏章

交通事故被害者のおかれている現状と願い

このような機会を与えていただき感謝しております。自助グループの意義ということで、北海道での取り組みを中心にお話させていただきます。

基本計画のなかで論議されている犯罪被害者週間について次のようなパブリックコメントが寄せられていることを知りました。
「被害者団体が国民に理解を求めるために『週間』を設けようとする考えは自分本位である。年に一度は国民一人一人が犯罪について語る『犯罪防止の日』を被害者が望むことができれば、国民からの理解を得られる」
というものです。

三つのことを感じました。一つは、一体、犯罪被害者の利益や権利は、どこから派生したものかということです。ある日突然、望みもしない被害の当事者にさせ られた私たちが、今はまだ実現されていない、真実に基づく公正な裁き、謝罪と賠償、必要なケアなどを求め、訴えることがどうして自分本位なのでしょうか。
二つ目は、こうしたギャップがあるからこそ、被害者週間は必要であるし、誤解や偏見を正すためにも自助グループの活動が必要ということです。個々対応ではとても出来ません。
三つめは、被害者は皆、事件を教訓に同じ犠牲を繰り返すなと訴えています。「犯罪のない社会」は、被害者のみならず国民共通の願いですから、ここに共同の 基盤があるということです。被害者としての当然の権利保障が、安全な社会につながることを、私たちはもっと強調する必要があると思います。

皆さん、たとえば、交通犯罪を生まない社会というものを思い浮かべて下さい。2003年の1年間に生命・身体の被害を受けた被害者数は123万7千人にのぼりますが、このうちの96%、119万人は交通関係の事故・犯罪によるものなのです。
莫大な犠牲者を出している交通犯罪は、ある意味、近代市民社会の成立要件、「他人の自由を侵害しない限りにおいて各人の行動の自由が存在する」という原則を根底から崩し、命をあまりに軽く扱う風潮へとつながっています。

これらの思いを、もう少し具体的に述べます。
私は遺された親です。高校2年生だった長女は、学校帰りの歩行中に、前方不注視の運転者に轢かれ、わずか17歳でその全てを奪われました。「通り魔殺人」と同じ被害に遭った娘の「無念」を思わない日は1日たりともありません。
私たち被害者、遺族の願いは一つです。奪われた肉親を、あるいは健康な体を元の通りに「返して欲しい」のです。そして、それが叶わぬなら、せめて犠牲を無にせず、被害を生まない社会を、と願うのです。

私は被害者の状況を次のように例えます。いきなりドーンと暗く深い穴に落とされ、社会と隔絶される。二次被害を含め、理不尽な仕打ちを、いくら外に訴えて も、叫んでも、世間には届かず。生きる意欲が失われ、ストレスにより健康を害し、社会生活も困難になります。交通犯罪の場合には「仕方のない事故だから」 「加害者も大変だ」「損害賠償されれば済むのではないか」など、心ない言動が突き刺さり、世をはかなみ、人が信じられなくなります。
このような中で、光を感じたのが被害者支援の動きでした。暗く深い穴がほんのり明るく,社会との壁も少し低くなりました。

北海道交通事故被害者の会が発足したのは6年前です。道警交通部編集の手記に応募した被害者に、道警から発起人の要請があったのです。設立に当たっては、 「傷をなめあうだけの会なら意味がない」という発言もあり、互いの支援、交流の他に、被害者の立場から交通犯罪撲滅にとりくむことが活動の柱となりまし た。

この会が出来たことによって、はじめて、気持ちの分かり合える仲間と出会い、心おきなく相談出来る場が得られました。多くの被害者が救われました。
その活動は、毎月の世話人会・例会と年3回の会報が軸です。経験者がアドバイスする形でお互いに支援・交流を行い、刑事裁判の傍聴も行います。学習会も 行ってきました。被害の実相と交通犯罪根絶、そして命の大切さを訴える体験講話は、高校や地域、矯正施設などで、年間50回を数え、昨年も1万人ほどに直 接伝えています。独自に作製した「いのちのパネル」も各所で活用されています。そして、法や制度の改善を求める要望事項を定め、関係方面に訴えています。 道民対象のフォーラムも毎年主催しています。

これらの活動はどれも有機的につながるものです。支援の活動自体が、私たちにとっては貴重な社会参加の機会となり、体験を語ることは、私たち自身のPTSDからの快復にもなっています。

ある会員は初めての体験講話の後、次の一文を会報に寄せました。
「初めてお話をさせて頂きました。両親の事故のこと、残された家族の心情、そしてもう悲しい家族を作らないでほしいという思いを、1時間程話しました。 話し終わった後、私は、いつも心の奥で言いたかったことが、声に出して言えたことで気持ちが軽くなりました。自分に少し自信が持てたような気がします。そ の後、3週間ほどたって、知らない方から「この間、講演をしていた方ではないですか?」と声をかけられました。その方は「とても感動しました。メモを取り ながら聞きましたが、僕ももう一度、交通安全を見直さなければと思いました」と話してくれました。私の話が役に立ったのかもしれないと思うと、涙が出るほ ど嬉しく、家に帰って、亡き両親に手を合わせ報告しました。両親も喜んでくれたと思います。今回の講演で色々な事を学んだ気がします。このような機会を与 えていただきありがとうございました。」

というものです。私たちが体験を語り、思いを表現することは、それまでの、恐怖や苦痛の感情と一体となった「体感的記憶」を、理性的な「歴史的記述」に変えていくことであり、それによって自責の念など苦痛に振り回されない自分になることができると言われます。
このことは、会の学習会で専門の先生のお話を聞いて学んだことですが、自助グループでの学びは、自己理解を深め、たたかう勇気を得、生きる力となっています。

これまでの活動を通して、私たちの掲げる要望事項は正当なもので、堂々と要求すべき権利であるとの確信も、ようやく持てるようになりました。
被害者の「自ら回復する力を引き出すはたらき」が自助グループにはあると思います。
北海道は道の交通安全協会から事務所と運営費、兼務の事務局長を提供いただくという恵まれた状況にありますが、どの地域においても結成を促し、公的な財政補助を受けられる制度を望むものです。

私たちは、学び、そして外へ理解を拡げるために、公開の「フォーラム・交通事故」を毎年主催していますが、今年は「基本法とは何か。交通犯罪被害者の尊厳は守られているか」をテーマに行いました。特徴的発言を紹介して、私のの話を終えたいと思います。

業務上過失致死で送致された事件を、告訴、署名など血の滲むような取り組みで、危険運転致死罪とさせた遺族からは、会の仲間との出会いがたたかいを支えて くれたというお礼も述べながら、「悲痛な生活をしている被害者遺族が、更なる『被害』を受ける事のない社会を願う」と発言を結びました。
また、2年以上真相究明を求めたたかっている遺族は、基本法には「尊厳にふさわしい処遇を受ける権利」が謳われているのに、「死人に口なし」の不公正捜査が今も横行していることへの怒りを語りました。
そして、奥さんを交通犯罪で亡くし、その後弁護士を志して現在司法修習中の遺族は、「被害者の、正当に享受すべき利益が保障されて初めて、被告人の人権論 も説得性を増す」という法学者の言葉を引用し、基本計画への期待を述べるとともに、知る権利と司法参加の点での不十分さも指摘しました。

以上ですが、基本法の精神を実効あるものとし、被害者の視点に立った施策をすすめるため、私たち自助グループもその役割を担って行きたいと思います。本大会がこの共同の輪を広げる大きな一歩となることを祈念します。ありがとうございました。

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