交通死ー遺された親の叫びⅡ(最新〜2013) 被害者の尊厳と権利のために

【報告】サイト開設20年の想い(年表付)

2020年4月24日

(2020年4月)

開設から20年のミニ改訂

 本サイトは20年前の2000年2月、同じ標題「交通死―遺された親の叫び」で開設しました。
 長女千尋(ちひろ)が、1995年10月に、前方不注視の加害者によって、17歳(高校2年)でその全てを奪われて以来、悲嘆と絶望、加害者への憎しみ、娘の命があまりに軽く扱われた刑事裁判など募る社会不信の中、長女の遺影から聴こえてくる「お父さん、悔しいよ。どうして私がこんな目に遭わなくてはならなかったの。私のこの犠牲は今の社会で報われているの」との問いかけに答えようと、私に出来ることは何か、必死に探し求めました。
 その一つが、長女の無念を社会に発信し、交通死傷被害根絶を願うWebページの開設でした。
 ワープロをパソコンに変え、インターネットで同じ思いの被害遺族とつながり、理解ある友人のアドバイスを受けて、必死につくりました。
 それから20年、7年前の改訂に続く小幅改訂を致しました。編集管理をお願いしているHKさんには感謝の気持ちで一杯です。

事件から25年の変わらぬ想い~こんな悲しみ苦しみは私たちで終わりにして下さい~

 長女の無念の事件から25年経ちますが、本サイトで伝えたい想いは、これまでと何も変わらず、いっそう強くなるばかりです。
 21年前の1999年に、北海道警察の導きで北海道の交通被害者の会が設立されましたが、そのきっかけとなった手記集「癒されぬ輪禍」(道警交通部編)の中に「50年過ぎても」という大亀さんの手記がありました。小学1年の娘さんを交通犯罪で奪われた母親が「50年過ぎても、毎日、ほしいほしいと病室で言っていた「水」を供えています」とその無念を綴った手記ですが、25年経った今、大亀さんのお気持ちにより深く共感しています。

参考

 周りの人からは、私たちを気遣い励ます意味で「元気ですか」などと声を掛けられます。しかし、元気を装っていますが、その内面は

「悲嘆と憎しみ、絶望と虚無感のなかで疲れ切り、抜け殻のようになった自分を隠し、世間の無理解に対し感情を押し殺して表面をつくろい、「普通」に振る舞いながら楽しい明日や未来は全く見えず、亡き長女のために、死んではならないから(「遺志の社会化」のために)生きている」

というのが本当のところです。

当サイト内参考ページ

「クルマ優先社会」を改め、交通死傷ゼロの、命の尊厳と社会正義が貫かれる社会を

 被害者が声をあげ、犯罪被害者等基本法が作られ、危険運転致死傷罪など刑法の改正もあり、交通死傷被害はやや減少傾向にはあります。しかし、今なお年間46万人(2019年)もの方が傷つき、5千人(2017年の厚生統計)もの尊い命が奪われています。モータリゼーションによる社会の非倫理化という人命軽視の「クルマ優先社会」は変わっていません。今こそ根底の課題を見据え、命の尊厳と社会正義が貫かれた交通死傷ゼロの社会へと向かわなくてはなりません。
 その端緒は、ヨーロッパで切り開かれつつあります。一例をあげます

  • ヨーロッパ各国では、「ボンネルフ」(道路の優先権をクルマに与えない「生活の庭」としての街路づくり。1967年オランダから始まる)や「ゾーン30」による交通静穏化が進みます。
    (※参考リンク被害者の会、会報34号p5~8、35号p7~11)
  • フランスでは1982年、自動車優先の都市政策を見直し「持続可能な交通」(Sustainable Transport)を掲げる「交通基本法」を制定しました。公共交通への公費支出を重視し「(公共交通とは収益をあげるものではない)公共交通で黒字を出すことは悪である」と考えられています。
  • EU議会は1988年、フランスの交通権に後押しされて、「歩行者の権利に関する欧州憲章」(全8条)を採択しました。「歩行者は」で始まる次の2条は重要です。
    1. 歩行者は、健康的な環境で生活を営み、また身体的・精神的に安全が保障される公共空間において、快適さを満喫する権利を有する。
    2. 歩行者は、自動車ではなく人間のために整備された都市または集落に居住し、歩行者や自転車の移動距離内で、生活の利便性を享受する権利を有する
  • (上記2項目は「ここが違うヨーロッパの交通政策」片野優 白水社より)

  • スウェーデンでは、1997年、「ビジョン・ゼロ」(交通システムによって死亡したり、重傷を負う人をゼロに)政策を国会決議しました。
  • ノルウエー(人口532万人)では2019年、15歳以下の子どもたちの交通死はゼロであり、首都オスロ(人口67万人)の全年齢の歩行者と自転車利用者の死者がゼロでした。

    (JBpress 2020.1.16「歩行者の交通事故死をなくしたオスロの秘訣」より)

 日本での遅れを取り戻すために、今なお私たちの中に根深く残る麻痺~「事故だから仕方ない」「クルマは便利で役立っているから、ある程度の犠牲は仕方ない」「被害者等もいずれ回復できる」「損害賠償で済む」~を正す必要があります。
 この麻痺を正すために、被害者の視点は重要です。

被害者の視点=命の尊厳=交通死傷ゼロの社会=社会正義

 これが、本サイト継続の目的でもあります。

 なお、付言すれば、上記の麻痺克服のために、交通「事故」traffic accidentという呼び方を続けることの問題を痛感します。「事故:accident」には「思いがけないできごと。偶然のこと」「道理をもって防止することのできなかった危害」という意味合いがあるからです。
 「事故」ではなく交通「衝突」traffic crashや、交通「事件」traffic incident、交通「犯罪」traffic crimeなどと、正しく使うべきと考えます。その意味では、「北海道交通事故被害者の会」の改名も必要かと思います。

年表~犠牲を無にしない、心の中の長女との歩み~

 以下は、当サイトを訪ねて下さった皆さまへのガイドとしての年表です。(グレー文字は国等の動き)

1995
長女の被害事件 (1996・2札幌地裁は加害者に対し、禁錮1年、執行猶予3年の寛刑)
1999
「北海道交通事故被害者の会」設立(発起人会から参加し、会報も年3回発行)
千歳の被害現場に「聖千尋観音」建立
2000
当サイト「交通死-遺された親の叫び」開設
道内高校教員らと「交通教育研究会」設立。(2006「スローライフ交通教育の会」に改名)
(※当サイト内参考ページ【論考・発言5】
依頼を受けての体験講話開始
2001
刑法改正:「危険運転致死傷罪」制定(署名運動に参加)
2004
「犯罪被害者等基本法」制定(「全国犯罪被害者の会(あすの会)」の署名運動に参加)
「犯罪被害者団体ネットワーク(ハートバンド)」発足(全国大会に毎年参加)
2005
内閣府、犯罪被害者等施策推進準備室のヒアリングで発言
(※当サイト内参考ページ「論考・発言【2】」
2007
法制審議会刑事法部会で交通事犯の厳罰化を求め意見提言 
(※当サイト内参考ページ「論考・発言【4】」
刑法改正:「自動車運転過失致死傷罪」(←業務上過失致死傷罪)新設
刑事訴訟法の改正:刑事裁判における被害者参加制度始まる
2010
内閣府の「第9次交通安全基本計画」策定に関わる公聴会で発言。(以降2014、2019の意見聴取会でも意見)
(※当サイト内参考ページ「論考・発言【7】」
2011
警察庁の事業「命の大切さを学ぶ教室」(中学・高校)開始
2013
法務省の刑訴法見直し意見交換会(12回)に被害者団体代表として意見(2014年の最高検通達に反映)
(※参考リンク「被害者の会」の「会報バックナンバー」より会報47号p8参照)
刑法改正:「自動車運転死傷行為処罰法」としてまとめられる
(※参考リンク「被害者の会」の「会報バックナンバー」より会報54号p8参照)
2014
小樽銭函飲酒ひき逃げ事件の危険運転罪適用を求め、被害者等連絡会で要請・署名活動
2016
旭川中島朱希さん被害事件の危険運転罪適用を求め、被害者等連絡会で要請活動
2019
「北海道交通事故被害者の会」は20年目の総会・交流会を開催

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