交通死ー遺された親の叫びⅡ(最新〜2013) 世界道路交通被害者の日

【報告】ワールドディ・北海道フォーラム(11月20日)のテーマは 「ゾーン30」と「歩車分離信号」

2016年11月21日

 2016年の「世界道路交通被害者の日・北海道フォーラム」は、今こそ「ゾーン30」と「歩車分離信号」の本格実施を をテーマに、11月20日、札幌市中央区の「かでる2・7」520研修室にて、約60人の参加者を迎えて成功裏に開催されました。

※本報告の他に、会報52号( →  北海道交通事故被害者の会 会報52号)で詳細を特集しています。

2016年の「世界道路交通被害者の日・北海道フォーラム」

第1部の【ゼロへの願い】

 第1部の【ゼロへの願い】では、「こんな悲しみ苦しみは、私たちで終わりにして下さい」との痛切なメッセージが以下の3人の方から発信され、参加者の胸を強く打ちました。

◇「小学6年だった娘は、14年前、青信号で横断中に危険運転の右折トラックに轢かれ、その全てを奪われました」

札幌市 眞下 登志子(代読) 後段の手記参照

◇「息子は、青信号横断中に前方不注視の右折車に轢かれ(当時30歳)、遷遠性意識障害となり、7年を経た今も入院中です」  

江別市 竹橋 信良

◇ 「兄と姉は、青信号横断中に(兄はH15年左折車に、当時77歳。姉はH25年右折車に、当時81歳)轢かれ非業の死。無念でなりません」 

新ひだか町 五十嵐 敏明

第2部の【ゼロへの提言】

 第2部の【ゼロへの提言】では、はじめに「命と安全を守る歩車分離信号普及全国連絡会」会長の長谷智喜さんが「歩車分離信号の経緯と課題」と題して特別講演。(下記記事)参加者に大きな感銘と確信を与えました。

◆講演のスライド資料は、こちらからダウンロードできます。
     → 歩車分離信号の経緯と課題

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続いて前田が 「今こそゾーン30と歩車分離信号の本格実施を」と題して提言しました。

◆提言のスライド資料は、こちらからダウンロードできます。
 → 今こそ「ゾーン30」と「歩車分離信号」の本格実施を

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第3部【ゼロへの誓い】

 第3部【ゼロへの誓い】は、道環境生活部のくらし安全推進課、中野課長と道警本部交通部の坂本管理官がそれぞれ、誓いの挨拶を行い、最後に、いのちのパネル展実行委員長の小野さんが閉会挨拶をしてフォーラムを閉じました。

世界道路交通被害者の日・日本フォーラム(準)による「キャンドルナイト」

 東京都港区の芝公園で今年も行われた、世界道路交通被害者の日・日本フォーラム(準)による「キャンドルナイト」(2016年11月19日)

手記「小学6年だった娘は、14年前、青信号で横断中に危険運転の右折トラックに轢かれ、その全てを奪われました」

「綾香は青信号で渡っていたのに、何故」

眞下 登志子

 私たちの娘、眞下綾香(まっか あやか)は、小学6年生だった14年前、青信号の横断歩道を自転車で横断中、右折してきた2トントラックに自転車ごと轢かれ、そのすべてを奪われました。

 加害者は、徐行も安全確認もせずに交差点を右折、ブレーキもかけずに綾香に衝突し、タイヤを乗り上げたまま20メートル以上もひきずり、ようやく止まるという、無謀な危険運転でした。

 私達家族は、どうしてこんな事件が起きたのか、不思議でなりませんでした。交通ルールを守り、青信号で横断歩道を渡っていれば、事故に遭うことはないと、信じていたからです。

 事件の現場は、死角のない見通しの良い交差点で、業務用トラックの加害車両は、普通自動車より視線が高く、視界が極めて良好です。歩行者や自転車の存在など、横断歩道の全体が、必ず視界に入って確認できます。

 しかし、加害者は、綾香の存在を、充分に気付いていたにもかかわらず、先回りしようと速度を上げて、大回りの右折をしたのです。これは、過失ではなく、交通犯罪・殺人としか思えません。交通事故の中に、数多く犯罪が隠されているいることを知りました。車であれば、単なる過失で済まされることは、どうしても納得出来ません。
私達家族は、事件後、綾香と同じように、交通ルールを守り青信号で渡って命を奪われた子どもが、たくさんいることを知りました。何の罪もない子供たちが、安全であるはずの横断歩道で、悪質な交通犯罪者に殺され続けていることを知り、胸が締め付けられるように辛かったです。

 かなし過ぎる現実です。綾香の事件を知る方々からは、「横断歩道を渡る時は、信号を見て渡るようにと教えられ、私たちもその様に教えてきた。青信号で事故に遭うなら、いったい子供を何色の信号で渡らせればいいの」という声が寄せられ、厳罰化によって子供を交通犯罪から守って欲しいという要請署名に、1万人以上の人の協力をいただきました。

 綾香の同級生は、交通ルールを守り青信号でも安心して渡れないことに、恐怖や不安を感じていました。そして、綾香の事件の重大さを受け止め、総合学習の時間に、事故を防ぐためにどうしたら良いのかを話し合ったのです。
 友人たちは、資料の新聞記事にもあるように、横断歩道を安心して渡るためには、歩行者と車両を分けて、全く別々に通行する「分離信号」が役に立つと考え、分離信号機設置の要望書を札幌西警察署に提出しました。
 今日お見えになっている長谷さんにも、当時、分離信号機について手紙を出しました。

 綾香の事件は、私たち被害者家族だけでなく、学校や地域の皆さんにも、大きな不安を与えました。現場の脇の歩道には、綾香が通っていた小学校のPTAや在学生で、悲惨な交通犯罪がもう二度と起こらないようにと、14年経った今も、花の苗を植えて、交通安全を願い続けています。

 もう二度と悲しい事件が起きないために、社会が子どもの命を守るために、歩行者と車両が全く別々に通行する分離信号にすることは、とても大切なことです。分離信号が街中で多くみられるようになってきましたが、交通量の多い通学路が優先ではないかとも思います。

 終わりに、綾香のことを少し聞いて下さい。

 綾香には、やりたかった事がたくさんありました。でもそれは、特別なことではありません・・・。
 私達と共に暮らし、友達と一緒に卒業し、中学、高校、大学と夢を持ち、生きていたかっただけです。
 お兄ちゃんや友達と遊んだり、私と手をつないで買い物に行ったり、大好きないちごをたくさん食べたり、パパに甘えたり、エレクトーンをたくさん、たくさん弾いたり・・・やりたいことは、まだまだたくさんありました。
 楽しいこともたくさん経験し、悲しいことやつらいことも時にはあったでしょう。
 すべて経験できないまま、綾香は、自分の命を誰に奪われたかも解らないまま、この世を去ってしまいました。
 
 私たちが失ったものは、何にも替えられないかけがえのない命です。
 綾香がいないことがどれほど辛く寂しい毎日か・・・、今までの楽しかったことすべてが悲しい思い出になりました。
 日が経つにつれ、悲しみはより強くなるばかりです。こんな深い悲しみは、私たちが死ぬまで一生続くのです。

 どうか・・・こんな悲しみ苦しみは、私たちで終わりにして下さい・・・。

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