交通死ー遺された親の叫びⅡ(最新〜2013) 被害者の尊厳と権利のために

【訴え】小樽ー旭川事件と自動車運転処罰法~「刑事法ジャーナル」の特集記事に注目~

2017年11月1日

小樽-旭川事件と自動車運転処罰法

「刑事法ジャーナル」が 危険運転致死傷罪の拡大の意義など特集

1 はじめに

 本ブログで何度か報告している旭川事件(2016年5月4日、中島朱希さんが飲酒暴走運転の加害者により交通死されました)は、現在札幌高裁にて審理中(10月17日初公判)であり、貴重な地裁判決(2017年7月6日、法2条1号、懲役10年)の確定(控訴棄却)を求め傍聴支援を行っているところですが、本件および小樽事件(これも何度も本ブログで報告)など私たち被害者・団体が求めてきた危険運転致死傷罪の公正な適用とこれを含む自動車運転死傷行為処罰法の全般的課題について述べた大変重要と思われる「刑事法ジャーナル」の特集記事について、思いの一端を述べます。

2 旭川事件、地裁判決の意義と控訴審

 旭川事件の地裁判決の意義については、北海道交通事故被害者の会の会報54号p4の青野弁護士の報告を参照いただきたいのですが、報告の中の「福岡事件―小樽事件―旭川事件」と並べた比較表が重要で分かりやすいと思います。
 2001年の危険運転致死傷罪(「危運罪」)の制定から16年、改正を加えて一つの法律にまとめられた2013年の自動車運転死傷行為処罰法(「自動車運転処罰法」)から4年を経た今日、これらの適用をめぐる問題点と課題が、今後の法体系のあり方として改めて問われる中、旭川事件の司法判断は極めて大きな意味を持つと思われます。

 そのことを示唆する記事が「刑事法ジャーナル」(成文堂 2017年 No.52)に掲載されておりました。「自動車運転死傷行為等処罰法の動向」という巻頭の特集です。

 特集冒頭の執筆者、首都大学の星周一郎教授は「危険運転致死傷罪の拡大の意義と課題」の中で、2014年の夏に私たちがご遺族と共に訴因変更を求めて必死の思いで要請署名活動を行った小樽飲酒ひき逃げ4人死傷事件の判決(この時点では最高裁決定には言及されず)を評価し、今後の課題として「危運罪」の構成要件のさらなる明確化などを挙げていますが、その意味でも旭川事件の地裁判決が、「正常な運転が困難な状態」として、ハンドル操作など身体機能面の能力低下の明確な証拠がなくとも、その基礎となる自制心や判断力の低下を理由にその成立を認めた意義は大きく、札幌高裁の判断が注目されます。

3 「刑事法ジャーナル」の特集が自動車運転処罰法の見直しの要を示唆

 貴重なのは、星教授が後段の「現行規定に対する世論の批判の内実」の項で、その背景にある法制定の歴史的矛盾(注1)にも言及しながら、「危運罪」のかなり謙抑的な適用について、交通死傷被害の甚大さとその悲惨さから、そして「危運罪」適用の有無による帰結のあまりの差異からも、世論の刑事司法に対する「不信感」と、「適正な処罰」を求める止まらない声を指摘していることです。
 私は、星教授が、論の終わりを「自動車運転死傷行為処罰法の法定刑について、改めて検討が迫られるような局面が早晩訪れる可能性も否定出来ないように思われる」と結んでいることに、確かな希望の光を感じることが出来ました。無念の長女から託された使命(注2)を果たそうと必死の毎日であるからです。

 そして勇気を得たのは、星教授に続けて、同志社大学の川本哲朗教授が「過失運転致死傷アルコール等影響発覚免脱罪について」という論説の結びで、「自動車運転処罰法」が「弥縫(注3)的な解決に止まっている」という見方を示し、「今後はさらに検討を重ねて、総合的かつ合理的な犯罪抑止を図っていくべき」と、重ねて「自動車運転処罰法」の見直しを今後の課題としていることです。

 特集の最後では、最高検察庁の城 祐一郎検事が「自動車運転死傷行為等処罰法に関する実務上の諸問題」の中で、やはり北海道で発生し私たちも支援した砂川飲酒暴走家族5人死傷事件の共謀関係の認定~事故直前の走行状態などから、殊更赤信号無視についての暗黙の共謀を認める~を「極めて画期的な判断」と評価し、その思考過程を丁寧に検討していますが、後半では、ここでも福岡事件と小樽事件に言及し、星論文と同様に「正常な運転が困難な状態」の新たな認定例として肯定的に(と私は受け取りました)論じています。 

 私たちはこれまでに、まさに必死の思いで、命の尊厳から結果の重大性を裁く刑罰をと、法の改正を求めてきました(注4・5)。2001年に危険運転致死傷罪が設けられた時も、これが「絵に描いた餅」になってはならないと、その不備な部分を当初から指摘してきたところです。
 2004年制定の犯罪被害者等基本法など、私たちが願う「被害者の視点(=命の尊厳)からの社会正義」という方向への兆しを感じますが、刑事司法における確かな流れを作るために、関係機関、団体、研究者、市民の皆様の一層のご理解とご支援を求めます。被害者に共通の「こんな悲しみ苦しみは私たちで終わりにして欲しい」という切なる声を聴いて下さい。

注1:
「従来、交通死傷事犯が刑法犯としては過失とする処罰に限られていたのは、現行刑法典が、自動車交通が普及する前に制定されたという偶然的事情のもとでの、罪刑法定主義、処罰の断片性等の、刑法の基本原則に基づく帰結であった。」(上記「刑事法ジャーナル」No.52、p9)

※付記:
 近代刑法に潜む根本的問題について、私は被害者問題の講話の際に、刑法学者である佐藤直樹氏の次の一節を紹介するようにしています。
 「近代刑法は、前近代「刑法」の結果責任より、意思責任へ「発展」した、といわれる。しかし、その個人の意思内容はきわめて矮小化され・・・限定的に考えていったのである。それがもっとも典型的にあらわれたのが交通事故で、産業交通が交通事故の発生を前提に存在している以上、その存在を必要悪として認め、実際に事故が生じた場合には、なるべく軽い罪ですますようにしたのである。そのために、もともとそのようなものではありえない意思内容・故意内容をきわめて限局し、そのことによって、故意ではなく(しかもきわめて軽い)過失によって処罰することを可能としたのである。」
(佐藤直樹著「共同幻想としての刑法」白順社p187)

注2:
 22年前、17歳の長女前田千尋は、学校帰りの歩行中、前方不注視(カーラジオ操作による脇見)の加害者に後ろから轢かれ、その全てを奪われました。重大過失の加害者に下されたのは「禁固1年、執行猶予3年」という寛刑。当時の「加害者天国」の法廷傍聴席で、私は手許の小さな遺影に向かい「千尋、お父さんはこんな理不尽を絶対に許さないから」と誓ったことを決して忘れません。

注3:「弥縫」は、「びほう」と読み、広辞苑によると「失敗・欠点などを一時的にとりつくろうこと」とあります

注4:
 私は数年前より体験講話「命とクルマ、遺された親からのメッセージ」の中で、命の重みに見合う刑法になっていない問題点として、危険運転罪の「故意」の立証が難しく、悪質運転への適用率が極端に低いまま。死亡交通事件の6割を占める漫然運転などが、結果の重大性に見合う刑罰になっていない。「刑の裁量的免除規定」が残されており、「交通犯罪は軽く」の底流は変わっていない。の3つを挙げ、自動車運転処罰法のさらなる改正を強く訴えています。 

注5:
 以下は北海道交通事故被害者の会が毎年関係省庁に提出している要望書「交通犯罪被害者の尊厳と権利、交通犯罪・事故撲滅のための要望書」の中の関係項目です。

 (第4項) 「交通犯罪を抑止し、交通死傷被害ゼロを実現するために、交通犯罪に関する刑罰適正化を進めること。」

4-1 自動車は,その運転方法いかんによっては,凶器となる。そして、危険な運転によって重大な被害をもたらすことは、これまでの幾多の事件により明らかである。危険な運転行為を行い,その結果,死傷の結果を生じたのなら、他の過失犯よりも重い処罰を科すことが、交通犯罪抑止のために不可欠である。「自動車運転処罰法」の危険運転致死傷罪等については、目的などの主観的要素の要件を緩和するなど、危険な運転行為一般に適用可能な内容に改正すること。同じく過失運転致死傷罪の最高刑を引き上げること。死亡事件の最低刑を罰金刑ではなく有期刑とすること。
4-2 交通犯罪に対する起訴便宜主義の濫用を避け、起訴率を上げること。新法(自動車運転処罰法)第5条に残された「傷害が軽いときは、情状により、その刑を免除できる」という「刑の裁量的免除」規定は即刻廃止すること。

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