夢であれば早く醒(さ)めてほしいと何度思った事でしょう。朝、駅まで車で送り「行ってきます」と笑顔で別れた娘と言葉も交わすことなく、病院での変わり果てた姿との対面になろうとは。
1995年10月25日夕暮、当時高校2年生の長女千尋(ちひろ)は通学帰りの歩行中、後ろから来たワゴン車に撥ねられ即死。わずか17歳でその全てを奪われました。現場は千歳の市道で、歩道のない直線道路。事件の原因は、カーラジオの操作に気をとられた運転者が、赤いかさをさした娘に気づかず、5メートル余りも撥ね飛ばすという重大過失の「前方不注視」であり、娘に何らの過失も無かったことは裁判でも明らかにされました。
修学旅行を三週間後に控え、本当に楽しそうな高校生活の娘でした。その日は友だちとの買い物の誘いを断り、家族と夕食を共にするため帰路を急いだ優しい娘でした。髪や服装にこだわり、センス良く着こなすスタイリストの娘で、妹や母親と互いにアドバイスしていました。思春期特有の親に対する反発も峠を越え、これから本当に良い母娘、父娘の関係が出来ると楽しみにしていた矢先でした。
遺(のこ)された私たち家族の生活は一変しました。朝起きて食卓を囲めば、そこに居るべき長女の爽やかな笑顔はなく、二度とあのさっそうとした姿をみることも、優しい声を聞くことも出来ません。娘がボーイフレンドからもらい受け「サム」と名付けて可愛がっていた犬を、娘に代わって散歩させる度に娘の無念さを思います。街で娘に似た後ろ姿をみては立ち止まり、テレビを見ても、場面ごとに娘の事を連想し時に涙が溢れます。旅行に出ても、家族キャンプや家族旅行の長女の笑顔が浮かびます。家族4人の楽しかった思い出の全ては、淋しさと娘の無念さを思う悔しい過去に変わってしまいました。
何年経っても、娘のことを思わぬ日はなく、涙しない日はありません。「果無(はかな)し」という言葉が今の私たちの心境に最も近い言葉なのです。私と妻は二女の存在だけを支えに、張り裂けそうな悲しみに耐えて生きています。
娘は道路上で、何の過失もないのに、何のいわれもない人に、一方的に、限りない未来と生きる権利そのものを奪われました。どう考えても「通り魔殺人」的被害なのです。私は娘の仏前で未だに「安らかに」という声は掛けられません。千尋からいつも「私がどうしてこんな目に遭(あ)わなくてはならなかったの?」「私がその全てを奪われたこの犠牲は報われているの?」と問いかけられているような気がするからです。
「娘の死を無駄にして欲しくない」これが遺された者の痛切な願いです。歩行者、自転車という交通弱者が車に轢(ひ)かれたという報道に接するたびに、最大の人権侵害が日常的に横行している現実に「これでは娘は浮かばれない」と胸が痛みます。その意味では多くの遺族が訴えているように、交通犯罪に対する刑罰の軽さも指摘しなければなりません。娘の加害者も重大過失でありながら、禁固1年は執行猶予つきで、実刑なしというあまりに軽い刑です。厳罰の適用で交通犯罪を無くし、免許制度の厳格化、車道至上主義を改めて生活道路での歩行者優先を徹底するなど、被害ゼロのための抜本的施策を切に望みます。娘からの「問いかけ」に答えるために。
(1999年6月「癒(いや)されぬ輪禍」道警交通部編)