娘はなぜ犠牲になったのか、裁判はどのように行われたのか、加害者の処遇は
夢であれば早く醒(さ)めてほしいと何度思った事でしょう。朝、駅まで車で送り「行ってきます」と笑顔で別れた娘と言葉も交わすことなく、病院での変わり果てた姿との対面になろうとは。 1995年10月25 ... 2000.8.12. Photo1 在りし日の千尋 友人からもらいうけ、「サム」と名づけて可愛がっていた愛犬とともに 1995年1月 娘の犠牲を無にしないためには、「事故」という名の「犯罪」を決して ... [toc] 刑事裁判の記録 検察庁への意見書 札幌地方検察庁御中 被告人の処罰についての希望 ―特に被害者の気持ちについての意見― 前田 敏章/真紀子 私たちは1995年10月25日、千歳市北信濃7 ... 貴女を決して忘れない 誕生 1978年5月12日、午後3時53分、待望の長子として稚内市立病院で産声をあげました。5日目、いろいろ悩んだ末に「千尋」と名づけました。アルバムには命名の由来を、次のように ... 「千尋観音」に託す「犠牲を無にしないで」の願い 千尋が脇見の運転者によって命を奪われた現場は、千尋の愛犬サム(遺影に抱かれています)との毎朝の散歩コースでもありました。 遺された私たちは、長女に替 ...
手記:17歳で交通死した娘からの問いかけ
事件概要
刑事裁判の記録
千尋へ - 追悼と生命のメッセー ジ展
聖千尋観音