交通教育理論篇

ブックレット(「クルマ社会と子どもたち」岩波470)で伝えたかったこと

02.9.14. 今井博之氏 「交通教育研究会」会報3号(2002.5.5.)に掲載

ブックレット(「クルマ社会と子どもたち」岩波470)で伝えたかったこと
今井博之 January, 2002

交通安全教育の効果は未だに実証されていない。

 交通安全教育は有効であるという論文は非常にたくさんあります。しかし、無効であるという論文も、また、同じ数くらいあると言われています。この問題に決着をつけるべく、有効性ありという論文をひとつひとつ検証した研究者がいます。まず、研究方法に不備がある論文を除外し、残った論文のうち、その教育によって子どもの行動が是正されたかどうかを実際の観察で確認した、あるいは実際に事故率が減ったかという指標で評価した論文であるかのどちらかを満たすものを選び出したところ、9つの論文しか残らなかったといいます。しかし、そのうちの1つは、後に述べる交通環境の改善を含めた包括的対策によるものでした。残る8つの研究によると、教育の効果はあったがごくわずか、効果はあったがそれでも約半数の子どもが安全ではない行動をとっていた、などという悲観的な結果でした。

 しかし、非常に良い結果を出している論文が2つあります。1つは、フォーテンベリーらのアラバマ・スタディー(1982年)と呼ばれているもので、米国のアラバマ州の4つの都市の小学1年生の子どもを対象に学校で歩行者としての安全教育を行った結果、教育を行う2年前と2年後でこの年齢の歩行者事故率を比較すると、33.8%減少したというものです。しかし、残念ながらその後この教育を真似たところが一ヶ所もなく、追試験が行われていないので実際の真偽のほどは確証するに至っていません。これほど有効だというならば、なぜ広まらなかったのでしょうか?

 さて、もう一つの有名な研究は、米国の交通局が行って、ブラムバーグら(1983年)がまとめた研究です。ウィリー・ウィスルというアニメキャラクターを主人公にして、正しい道路の横断方法を教えるというもので、3つの都市(ロサンジェルス、コランバス、ミルウォーキー)の幼稚園の年長児クラスを対象に、教室で6分間の映画を見せる、ポスターを貼る、1分足らずのテレビスポットを流す、幼稚園やテレビ局にパンフを配るなどの介入策が行われました。実際、ロサンジェルスの子どもの約3分の1がこの番組を見たといい、テレビスポットは200~380回も流されたといいます。その結果、この年齢の飛び出し事故が18~36%も減少したという画期的な結果が報告されています。しかし、道を渡る前に立ち止まるという行動は介入の前後でまったく変化がなかったとも書かれています。子どもの安全行動が何も変化しなかったというのに事故がこれだけ減ったと言うことは通常では考えられないことであり、信憑性には大きな疑問がもたれています。

そもそも子どもに交通安全教育を施すことは最初から無理なのではないか。

 こうして見てきますと、子どもに対する交通安全教育で有効性が証明されている論文はこの世の中には皆無であるといっても良いでしょう。しかし、だからといって全く無効であるという証明もまた同じくらい困難なのです。今日の子どもの事故防止を研究している人々によれば、子どもの交通安全教育にはもしあったとしても限られた効果しかないだろうというのが大方の見方です。

 その根拠の1つはブックレットにも述べたように、子どもには交通安全の教育を受けるだけの発達段階に達していないのではないかという見方があるからです。道路を安全に横断するためには26ものタスクを習得する必要があることがわかっています。右と左をしばしば混同してしまう年齢である6歳児に、こうしたタスクをマスターさせることは九九を教えるより難しいでしょう。また、かりに道路を横断するために必要な知識を習得させ得たと仮定しても、そのうちの何割の子どもがコンスタントにその知識を実践でき、そのうちの何割の子どもが100%維持し続けることができるでしょうか。例えば、今の日本では高齢者の歩行者事故が急増していると言います。今70歳の人々は、30年前の1970年当時は40歳です。1960年代から始まった急激なクルマ社会に適応して生きのびてきた人々であり、当然、当時は交通安全知識を十分に身につけていたはずです。そうした人々が高齢者となって現在の交通事故死傷者の主体のもうひとつを形成しています。つまり、今の高齢者は交通安全の知識がないから事故にあっているのではないのです。知覚し、判断し、行動をした。その過程のどこかで以前とは違っていたのです。高齢化の故にです。これと同じ事の裏返しが子どもなのです。交通安全の知識をいくらマスターしようと、おそらく生物学的な限界ゆえ、事故を防ぐことはできないのではないかというのが1つの見方です。

 一方、ホワース博士は別の角度からこのことを論理的に説明してきました。彼は、子どもに交通安全教育を行うことは害こそあっても効果はないと主張してきた1人です。テャップマンらが編集した「歩行者事故」(1982年)という本のなかで、ホワース氏は興味深い研究をまとめています。子どもが道路を横断する頻度と、その道路をクルマが通行する頻度を計算し、もしこの双方が事故を回避する行動をとらなかった場合には当然衝突が起こるはずであり、それを潜在的事故頻度と定義しました。そして、(実際の事故頻度)÷(潜在的事故頻度)を計算したところ、5歳児では1万分の1、10歳児では10万分の1という結果を得たのです。すなわち、5歳児の道路横断は、99.99%成功していることになり、あらゆる教育目標の中で、すでに99.99%うまくできていることを99.999%にまで引き上げる教育というものが存在するのであろうかという疑問を提起したのです。また、彼は、別の実験を行いました。走ってくるクルマと子どもとの距離が約20~100メートルという比較的遠距離であった場合、大人であれば先に横断してしまうところを、幼い子どもたちの多くはクルマが通り過ぎるのを待ってから横断を開始したというのです。つまり、どうも幼い子どもは、知覚してさえいれば予想以上により安全な行動を選択するようだと。しかし一方、ほとんどのクルマは子どもの姿が見えても何らスピードを落とさなかったし、子どもから少しでも遠くなるようにセンターライン寄りに走行を変更することすらしなかった。そして、より近距離の遭遇の場合(20m以内)は、選択の問題ではなく事故を回避する行動が問題となります。彼は、この近距離遭遇の場合に子どもとドライバーの両者の行動を記録し、回避的行動をとった割合は2:1で子どもに多かったと述べています。

 そして、かれの最後の主張はこうです。こうして実際に観察している様子と法廷での証言は全く異なっていると。すなわち、子どもの事故の99.99%は子どもの行動によって避けられている。しかし、たまたま事故時に平均的な注意力が足りなかった子どもと、常に注意力が足りないドライバーの間で実際の事故が起きるのではないか。子どもが飛び出したから避け得なかったという主張は、子どもにとっても同様に、「ぼくも避け得なかった」という裏返しにすぎないのに、それによってドライバーは免責され、子どもに責任が負わされている。現代の法廷での処理は全く間違っているのではないか、と……。さて、これ以上、この話しをすすめるのは止めましょう。私は、このことを考えるたびに、事故にあって死んだり傷ついたりしたりした子どもたちに申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

お金と労力は、もっと別な方向に向けるべきである

 以上の事実から考えて、欧米の専門家たちはどのように考えているのでしょうか? 以下は、米国の道路交通安全管理局(NHTSA)の専門家が最近まとめた「小児歩行者事故の発達上の危険因子」(シーバー&トンプソン:1996年)という論文の結論の一部をそのまま引用したものです。

 「発達という視点で考えると、従来の歩行者交通教育は小学生に対しては限られた価値しかなく、この年齢の子どもに焦点をあてた努力の多くは、道路、車両、ドライバー、大人による監視、などの改善に向けてなされるべきである」と。これは、一研究者の一論文ではなく、NHTSAという巨大な公的機関が作成した論文であるという点で注目に値すると思われます。

 どのような種類の事故防止対策でも「過ちをおかすのが人の常」ということを前提にし、人間の行動を全面的にあてにすると事故は防ぎ得ないものとなることを示しています。交通事故対策も、子どもの行動やドライバーの行動を改善することは困難であり、ましてやパーフェクトを期待することは不可能です。一方、より安全なクルマを設計することや、より安全な道路環境に作り変えることの方がはるかにたやすいのです。

ボンネルフとゾーン30は何を実現させたのか

 エンゲルら(1992年)は、デンマークのある都市で生活道路をボンネルフ型(時速15km以下)とゾーン30(時速30km以下)に変えて、その前後で歩行者事故率がどのように変化するかを調べました。それによると歩行者事故は約4分の1(28%)にまで減少したといいます。クルマの速度は、ハンプが高さを1cm増すごとにクルマの時速が1km減速し、ナローイングによって時速5kmの減速効果があったといいます。

 ヴィスら(1992年)は、オランダの都市で実験を行い、時速を30km以下に制御できるようハンプなどのボンネルフの手法を取り入れて事故率がどのように変わるかを調べました。ハンプによってクルマの速度が40%減少し、ナローイングによって28%減少したのに対し、単に30km制限という道路標識を出しただけでは減速効果は0%でした。また、場所によって大小はありますが、交通量として5~30%減り、歩行者事故は全体で25%減少したといいます。

 Kjemtrupらの総説「ヨーロッパの都市におけるスピードの抑制と交通鎮静化」(1992年)によれば、「オランダではボンネルフによって事故が大幅に減少し、特に、歩行者と原付バイクでの減少効果が顕著であった。ドイツのハンブルグ市でゾーン30に指定された263ヶ所を、導入の前後で比較したところ、交通事故負傷者は27%減少し、同ハイデルベルグ市での調査では44%の減少であった。フランスでもこの種の環境適合型道路への転換によって、交通事故件数が69%以上減少した。」と、書かれています。

 フランスの都市交通研究センター(CETUR)が1984年に行った研究によれば、都市における速度抑制政策により、クルマの平均走行速度が減少し、特にスピード違反の減少が著しかった。また、これによって年間事故件数が60%以上減少したといいます。

 オランダの国立道路安全研究所(SWOV)が1997年10月に発表した「道路安全向上のための持続可能な解決法」という報告書があります。オランダ政府は、2010年までに交通事故死者数を今の半分に減らすという数値目標を既に決定しており、その実現のために科学的裏付けのある中長期の実効性を伴う安全システムを開発するようSWOVに要請し、その計画をまとめたのが本書です。それによると、「オランダでは交通事故によって毎年毎年、数千人もの死者と数万人もの負傷者が生じている。これは道路運輸がもたらす不可避の事柄でありしょうがないとして受け入れるべきであるというのが現在の道路交通システムであり、我々はこのようなシステムを、次世代にはもはや遺したくないのである」と。さらに、ゾーン30に関係する記載として、「ボンネルフによってかなりの人身事故が減少することになった。場所によっては70%前後の減少が報告されている。しかし、しばしば、ボンネルフはごく限られた比較的小さな地域に限定された状態にとどまっており、その理由として、法的な設計条件が厳しすぎる、建設コストが高い、物理的スペースにゆとりがない、などが上げられている。ボンネルフによって2つの事柄が重要であることが判明した。クルマの速度を下げることと通過交通を減らすことである。時速30km未満に維持することができれば重症外傷を最小限にできることが事故研究によって明らかになった。最近の調査によると、オランダにある700の自治体のうち300の自治体に少なくとも1つはゾーン30が存在している。ゾーン30が人身事故に及ぼす影響についての調査が最近行われ、それによると重症事故は30%以上減少していることが明らかになった。現時点での概算によると、既存地域の道路網のうち既に約10%がゾーン30になっており、これを将来80%にまで引きあげる必要がある。」と書かれています。

 英国のウェブスターら(1996年)の研究によると、時速20マイル・ゾーン(すなわちゾーン30)を導入した地域では小児の歩行者事故が70%減少し、自転車事故は48%減少したといいます。

クルマのスピードが事故の重症度の主要な決定因子

 先ほど述べたように、ボンネルフやゾーン30を導入してきた経験からクルマの速度と通過交通の量を減らすことが重要なポイントであることがわかってきました。

 1996年にブダペストで行われた欧州運輸大臣会議(ECMT)では、「クルマの速度と交通事故との関係」がテーマになりました。この会議の報告書は、OECDから出版されているので誰でも読むことができます。これによると、フランスでのREAGIR調査では全死亡事故の約半数は速度と関連した事故であったといい、フィンランドでも同様の詳しい調査が行われ、死亡事故の61%がスピード違反によるものであったといいます。小型車でシートベルトも締めていて事故にあって、かつ負傷した10万人を調査したプジョー・ルノー生体力学研究所の報告によると、時速35km以下の場合は正面衝突でも死亡例はありませんでしたが、時速70kmの場合は50%の死亡率でした。歩行者がクルマにはねられた場合の死亡率は、時速80kmの場合は100%死亡、65kmなら85%、40kmなら30%、20kmなら10%であると書かれています(時速65kmでは歩行者の死亡率は85%、時速50kmなら45%、時速30kmなら5%の死亡率とする論文もある)。さらに、国家レベルや地域レベルで制限速度が引き下げられた場合は交通事故の死傷者が減少し、逆に引き揚げられた場合は上昇したという実例が15例以上紹介されています。この中に、ドイツのある地域で制限速度を時速50kmから30kmに引き下げたところ、死者もしくは重傷者が15%減少し、英国では居住地域の制限速度を引き下げたら交通事故件数が70%も減少したことが述べられています。ゾーン30は交通事故を減らすだけでなく、居住地域の美化をも促進するという利点が上げられていました。ここでは、さらに、騒音公害や、NOxやCO2の排出も大きく減少させることが指摘されています。オランダでは自動車道の制限速度を引き下げることでCO2排出量が34%減少し、石油にして4千リットル分の節約になったこと、同様の事実がオーストリアからも報告されていると述べています。

交通安全教育そのものに反対しているわけではない

 実は、私個人としては、社会全体に行う交通安全教育は必要だと考えています。世論という集団としての「安全を志向する」コンセンサスが背景にあると、物事ひとつひとつの意思決定に影響を及ぼすからです。つまり、禁煙を例にとってわかりやすく言いますと、喫煙が有害であることを昔から主張している人はいましたし、様々な禁煙教育も行われてきました。個々人を対象とした禁煙プログラムではわずかな効果しか無くて、物事は遅々としてしか進んでこなかった様にみえても、こうした努力と社会的なキャンペーンによって20年前と今では人々の意識が大きく変わったように思えます。

 しかし、現行の交通安全教育でいう「交通」とは、「クルマ」のことを指しており、スムーズな交通が維持される範囲内でのみ様々な施策が許されるのです。クルマに迷惑をかけない範囲でなら、あるいは、その方がクルマの流れが良くなるのであれば、歩道を作るのです。私たちはこうした価値観を潜在的に植え付けられてきましたから、無意識にではありますが、なかなかその範囲を超えて発想することができないのではないでしょうか。「イデオロギーとは、人々に意識されないところにその本質がある」と述べた人がいますが、まさにその通りです。クルマを優先した交通安全教育ではなく、子どもや高齢者、歩行者、自転車の運転者などの交通弱者と呼ばれている人々にとって、もっと快適で安全であるための交通とはどうあるべきかを教育すべきなのです。

クルマ優性社会がもたらした健康に対する被害

 クルマ優先社会は、身近な遊び場であった「道」を子どもたちから奪い、空き地を駐車場に変えてしまいました。そして、大人たちも歩くことを忘れ、排気ガスとクルマにあふれた醜い都市と、慢性的な渋滞でむしろ移動は制限され、不便になり、運動不足によって肥満と成人病の増加をもたらしたのです。皮肉なことに、死亡事故や重傷事故はクルマの渋滞と反比例することがわかっています。都市ではクルマの走行距離あたりの事故率は田舎のそれよりもかなり低いものとなっています***。先進国で肥満の割合が急増しているのは共通した特徴であり、「肥満の流行現象」という言葉が飛び出すほど深刻な問題になっています(米国では、今や子どもの %以上、成人の %以上が肥満となっている**)。米国は、これ以上肥満が増加すると国家レベルの重大な健康問題を引き起こすという懸念から、国民がもっと身体運動量を増やす必要性を説いた1996年の米国の公衆衛生局長報告を発表した。それによると、健康のためには何も激しいスポーツをやる必要はない。ほぼ毎日、中等度以上の身体活動を30分以上行えば十分な効果があるといいます。すなわち、ほぼ毎日30分以上歩くか、自転車に乗るかすれば、心疾患で死亡するリスクを半分に減らし、ガンや糖尿病のリスクをも減らせるし、その効果は禁煙で得られる効果以上であると言われています。今や米国や英国の子どもたちの %が学校への行き帰りに自動車を使っています。先進国で、子どもの歩行者事故死者数が減少トレンドにあるのは、実は子どもが歩く機会が大幅に減少したからだということがわかっています。

 被害が発生するというクルマ社会の害悪はあげればきりがありません。

私たちは何をめざすのか

 ホワース博士は、おもしろいことを言っています。交通事故を減らすには、いままでやってきたことの逆をやればよい。すなわち、まっすぐの道路をぐにゃぐにゃに。丸く切られたコーナーを鋭角に。今まで速度を上げるようにし向けていた道路を、逆にスローダウンさせるような施策で、むしろ事故は減るのだと。

 ボンネルフやゾーン30は、今や地域の住民から大いに歓迎され、クルマの入りにくい地域の商売はむしろ発展し、資産価値が上がると言われています。

 ヨーロッパ型の公共交通網を整備すれば、障害者、老人、子ども、そしてサラリーマンも、移動がより快適なものになるでしょう。騒音も、大気汚染も経るでしょう。

 バルセロナは都市全体でクルマの乗り入れを制限し、歩くことで美しい街並みを見てもらう戦略をとりました。そして一層多くの観光客の獲得に成功しているといわれています。

 英国でもブレア首相が、歩くことを推奨する政策への転換を提唱しています。

 私たちは決してストイックになることを求めているのではありません。現在のクルマ優先主義を是正することで、より人間らしい豊かな居住環境が実現できることを主張しているのです。

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