実践・REPORT

体験講話「命とクルマ、遺された親からのメッセージ」講話レジュメ

投稿日:2016年3月8日 更新日:

前田敏章 2016.3.改訂

講話レジュメ
2016年3月命とクルマ~遺された親からのメッセージ~
北海道交通事故被害者の会 前田 敏章

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1 伝えたいこと

(1)犠牲を無にせず「命の尊厳」を。相手と自分の命を大切にして欲しい。

(2)クルマの危険性と「クルマ優先社会」について深く考え、加害者を生まない社会を。

2 被害の実相

(1)歩行者や自転車の被害は「通り魔殺人」的被害であり、「事故」ではなく「交通犯罪」。私の長女は、公道で、何のいわれもない人に、何の過失もないのに、一方的に命まで奪われた。

→クルマは実際に多くの人を殺傷しており、凶器ともなる危険なもの。そのことを分かって免許を得てハンドルを握るのであるから、暴走や危険運転、不用意な「安全確認違反」は「未必の故意」(みひつのこい)による犯罪。

※「未必の故意」:行為者が、罪となる事実の発生を積極的に意図・希望したわけではないが、自己の行為から、ある事実が発生するかもしれないと思いながら、発生しても仕方がないと認めて行為する心理状態。故意の一種(「広辞苑」)

(2)交通被害は死亡事件だけでなく深刻な後遺障害がある。重傷被害は死亡の8~10倍

① 遷延性(せんえんせい)意識障害(遷延:ながびくこと):生命維持に必要な脳幹は生きている。

② 高次脳機能障害: 交通事故などにより脳が損傷。外見では判断できず、本人や家族も認識しにくい。記憶障害、注意障害(集中できない)、感情障害(感情のコントロールが困難)、失語症、地誌的障害(自宅の場所も分らなくなる)などの症状がある。

3 人命軽視の麻痺した「クルマ優先社会」

(1)現在の交通事犯被害は「日常化された大虐殺」

  • 2014年において生命・身体に被害を受けた犯罪の被害者数は、74万7466人。このうち 96%は、道路交通の死傷。(平成27年版犯罪白書より)

    • 交通死傷総数:71万5487人(死者:5,717人※厚生統計+負傷者:70万9770人)
    • 殺人等一般刑法犯、死者:841人
    • 一般刑法犯、負傷者:3万1138人
  • 戦後69年間の累計:92万人の死者、4300万人の負傷者(市場経済優先の「危険社会」)

(2)空間的時間的に分散して発生することによる感覚麻痺や、モータリゼーションに依存した消費社会によって形成された人命軽視の「クルマ優先社会」・・・「事故だから仕方ない」「被害者は(加害者も)運が悪かった」「誰もが加害者になりうる過失犯だから罪は軽く」「お金で賠償すれば済む」・・・

「自動車の普及によって、他人の自由を侵害しない限りにおいて各人の行動の自由が存在するという近代市民社会のもっとも基本的な原則が崩壊しつつある」

(宇沢弘文著「自動車の社会的費用」岩波新書)

(3)〈資料〉 佐藤直樹氏の論説(「北海道新聞」(2012年7月13日、「各自核論」)より近代刑法貫く「意思責任」結果軽視の弊害修正を

 意外に思われるかもしれないが、近代以前のヨーロッパでは「結果責任」といって、故意だろうが過失だろうが、「人の死」という結果があれば刑罰は同じだった。なぜならば当時、犯罪は共同体の人的つながりを危うくする「困った状態」であり、刑罰とはその状態を修復し、元に戻すことであって、個人の事情は一切考慮されなかったからである。(中略)

 かりに近代以前の「結果責任」の原理がつらぬかれれば、ドライバーが人をはね殺すたびに重罪では、恐れて自動車に乗るものはいなくなり、自動車産業が成り立たず、産業全体の発展が阻害されることになる。つまり過失を軽く処罰するという近代刑法の「意思責任」の原理は、資本主義的な産業交通や鉱工業の発展の必要性から生まれたというのだ。

 「世間」は厳罰化をもとめている。危険運転致死傷罪の適用のみならず、いま必要なことは、こうした結果の重大性を軽視する近代刑法の「意思責任」の原理を、「結果責任」の観点から修正してゆくことであろう。

(さとう なおき 九州工業大学大学院教授。専門は世間学、刑事法学)

4 被害の視点と社会正義・・・麻痺を正すために、被害の視点から本質を

(1)「知性」に不可欠な想像力と教養の概念

「教養」とは、単なる「知識」ではなく「態度」~いかに生きるべきか、日常の生活を一歩でも良くしていくという社会にはたらきかける態度や行動~であり、真の教養に必要なのは、「社会」の理解と「他者への想像力」、他の生命への「共感力」。(札幌学院大学 山本純教授)

(2)国民の正しい被害者理解が「正義」の社会、「安心」の社会を創る

5 交通死傷被害ゼロのために・・・加害が無ければ被害はない。絶対に加害者にならない運転を

(1)クルマの危険性を考える

  • クルマの強大な殺傷力
  • 「交流機能」も持つ道路には、生理的能力の未発達な子どもや衰えたお年寄りが共存

(2)道路交通法など法規を守るのは、被害者を生まないため。これが遵法(じゅんぽう)精神危険運転致死傷罪や道路交通法など全ての法律や規定は、過去の犠牲の上に作られている。「命で作られた法規」は守らなければならない。

(3)クルマの有用性に対する認識を理性で変える

  • クルマは速く格好良く走るものではなく、ゆっくりだが、雨風しのいで、荷物も積んで、ドアからドアへ移動できる便利なもの。子どもや高齢者、病気の人に特に必要。
  • ハンドルを握ったら、早く着こうとは一切考えず、「進行方向空間距離」の安全確認を二重三重に行い、歩行者や自転車、同乗者の安全を守りきり、絶対に加害者にならない運転を。

6 交通死傷被害ゼロのために・・・加害者を生まない社会を創る

 人命軽視の麻痺した「クルマ優先社会」から、本来の「命を絶対化」する社会へ。

(1)「凶器」から本物の「道具」へ:クルマ使用に対する「社会的規制」の強化

  • 厳罰化:違反行為をともなう人身事件は「未必の故意」による「交通犯罪」
  • 免許付与条件の厳格化

(2)被害ゼロを明確にした国や自治体の政策

  • スウェーデンの「ヴィジョン・ゼロ」政策:生命が第一という強力な倫理的動機が基本「交通システムによって死亡したり重傷を負う人を、ゼロに」と、1997年に国会決議
  • 車道至上主義を改め、「ゾーン30」(生活道路の最高速度を時速30キロ以下に面的に規制する)や「歩車分離信号」など歩行者優先と交通静穏化を実現する。自転車レーンの確保。
  • 「ソフトカー」(道路ごとに設定した段階的速度制御装置)などによる「脱・スピード社会」

(3)生活スタイルとして「スローライフ」

 「速度」「時間」を優先し、「運輸」に支配された生活から 人間性を取りもどすこと。

 モータリゼーションに「追いつかない」歪んだ消費社会からの脱却。

7 おわりに・・・遺された親からのメッセージ

銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも

(山上憶良が子を思う親の気持ちを詠んだ万葉集の歌)

「皆さんのご両親を思い浮かべて下さい。天から与えられた命を全う出来ずに夭逝(ようせい:若くして亡くなること)された時、この世で一番深い悲しみに陥るご両親がいます。

 若さが、その一途さで暴発し、自分や他人を危険な状況に置きそうな時があるかと思います。そのときは、もしものことがあった時のご両親と家族の嘆き、あなた方を心から大切に思ってくれている仲間の悲嘆、そして同時に相手の方にも、抜け殻のようになり悲しむご両親と友人たちがいるということを想像して下さい。決して相手を傷つけることなく、自分も安全な行動をして下さい。クルマは人が作った「道具」のはずです。危険な使い方をして「凶器」に変えないで下さい。さらに進めて、交通被害を生まない真に豊かな社会をともに創りましょう。」

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